「バカヤロッ!!」
これが、私の病室に飛び込んできた兄貴の 第一声だった。
私は徳田聡美(とくだ さとみ)、某女子大の3回生。
バイクが大好きで、中型免許を取って250ccに乗っていた。(過去形)
今朝、いつものようにバイクで登校する途中―― 飛び出してきた猫を避けようとしてみごとに転倒し、救急車で、ここ『大門(だいもん)総合病院』に運ばれてきた。
私は右肩打撲、右足首複雑骨折。
愛車の“ニコちゃん”は大破。
横倒しのまま、停まっていたトラックの下に吸い込まれるように入っていって……
私は呆然として、その様子をただ見てるしかなかったの。
―― 父さん…
1歳上の兄貴は、先に警察に呼ばれて……そこで私のバイクの惨状を見て驚きのあまりに声も出せず、必死で病院に駆けつけてくれたみたい。
なのに私が「兄貴〜♪」って、ベッドに座って手を振って呼んじゃったもんだから「バカヤロッ!!」……になっちゃったのよね〜
満床だから、って言われて個室になったけど。ホント個室で良かったよ。あんな大声出されたら、同室の人たちに迷惑かけるじゃん。
でも兄貴の「バカヤロ」を聞くのって、何年ぶりだろ。
学校をサボって、中型免許を取りに行った時以来かなぁ。なんか懐かしいな〜
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
「ごめん、兄貴」
「おまえは本当に…心配させやがって……。寿命が縮まっただろがッ」
兄貴に、こっぴどく叱られてしまった。
「ほんっとに、ごめん!」
めちゃめちゃ心配かけちゃったんだな、と思って反省。
―― 普段は冷静な兄貴が、こんなに取り乱して怒鳴るなんて……
やっと兄貴の機嫌が直った頃に、計ったようなタイミングで整形外科の担当医がやって来た。
「明日の午前中に、ボルトと金属を入れて固定する手術をします。時間帯が決まり次第お知らせしますので、この承諾書に――」
―― やっぱ手術するんだ
3回生になったばっかりで、まだ履修科目も何も決めてないのに……
バイトもできないじゃんか!
どれくらい入院するのかなぁ。…1ヶ月くらい?
リハビリもしなきゃいけないし……いつになったら、大学へ行けるんだろ。
やっぱ休学しなきゃいけないんだろな……
いろいろ考えている間に担当医は居なくなっいて、兄貴と2人だけになっていた。
「痛みよりも、動けないのが一番辛いんだろ?」
言いながら私の頭に手を乗せて、髪の毛をワシャワシャと撫でる兄貴。
「分かる?」
「ばーか。……まぁ今回のことは災難だったが、これを機に少しでも大人しくなってくれないか? 僕には“弟”じゃなく“妹”が居るんだと実感させてくれ」
「……兄貴の期待に応えられるよう、善処したいけど……」
「けど?」
兄貴の手が止まる。
「たぶん無理かと」
「オイ!」
ペシッと頭を叩かれた。
「怪我人に何すんのよ!! 痛いじゃんか!」
動く方の左手で頭を抑え、兄貴を睨む。
「金輪際、バイクは禁止だ」
「えぇ〜〜!」
「おまえ、医者の話を聞いてなかったのか? 『手術しても、元のように動くかどうか保証できない』って言ってたじゃないか。そんな状態で、またバイクに乗る気か!?」
「…………」
「考える時間は、たっぷりあるんだ。よく考えろよ」
そう言って、立ち上がる兄貴。
「……帰るの?」
「お袋の所へ行ってくる。あまり心配かけたくないんだが……おまえのことを報告しないといけないからな。……じゃあ、また明日」
「うん」
病室を出て行った兄貴の後姿を見ながら、ぽつんと呟いた。
「母さん、ごめんね……」
母は過労でダウンして、半年前から家の近くの病院に入院している。
父は、私と兄貴が中学生の時に出張先で列車事故に遭って亡くなった。
でも私のバイク好きは父譲りで、あの『ニコちゃん』は父の形見で……
父が大好きだったから、父の愛車を手放したくなかった。
父の愛車に乗って、父と同じ景色を見たかったから……私は免許を取った。
「古い」と言われようと、「ダサい」と言われようと、「似合わない」と言われようと、ニコちゃんが大好きだった。
なのに、もう乗れない。
―― 私……父さんを2回も失ったんだ……
ものすごい喪失感。心の中にポッカリと穴が開いたみたい。こんなの初めて。
ヤだなぁ……
『考える時間は、たっぷりある』って言うけどさ、変なことばっか考えちゃうよ。
どうしよう……
兄貴〜〜
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
手術は無事に終わって、リハビリが始まった。
初めはベッドの上で足の指を動かせて、それから……徐々に足首の曲げ伸ばしまで出来るようになっていった。
今日は初めて車椅子に乗って、リハビリ室に行く。
リハビリの担当医は、大門(だいもん)先生。この病院と同じ『大門』だから、身内なのかもしれない。
ほっそりとしていて、兄貴よりちょっと上くらいの年で、耳にかかるくらいの長さでサラサラの茶色っぽい髪の毛。
丁寧な言葉遣いで、とても優しくて、でもちょっと厳しくて、笑顔の素敵な人。小児科に入院している子どもたちからも「たかし先生」って慕われている。
「初日ですから、ここまでにしておきましょう。ではまた明日、3時に来てください。あと、指の運動は忘れないでくださいね」
「はい」
「私も協力を惜しみませんから、2人で頑張りましょう」
「ありがとうございました」
車椅子に乗って、病室へと戻る私。
―― はぁ…疲れた……
リハビリで、じゃない。大門先生と話すのが、疲れるんだ。
丁寧な言葉で話されたら、丁寧な言葉で返さないとダメじゃん?
二十歳も過ぎた娘なんだよ。小学生と同じような言葉で、話せるワケないでしょ?
地を出さないように、頑張って猫を被って余所行きの顔をして………疲れちゃった。
いつもの私なら……相手がどんな人物であっても“自分”というものを出して、自分のペースに相手を引きずり込んでいた。
なんで大門先生と話すときだけ、こうなっちゃうんだろ……
なんで「疲れた」なんて言いながら、猫なんか被ってるんだろ……
なんで私は、そこまでするんだろ……
なんで?
なんで?
大門先生は……特別、なのかな?
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
ホント兄貴の言うとおり。『考える時間』は、たっぷりとあった。
いっぱい悩んで考えて、そして「いつもの私でいいじゃん。これが私なんだもん」という結論に至ったとき、心の中がスーッと晴れていくような……清々しい感じがした。
「今日は顔色が良いですね。何か良いことでもありましたか?」
リハビリ室で顔を合わせるなり、大門先生が言った。
「ちょっとね♪」
―― もう猫被りしない、って腹を括ったからだよ?
「話し方も、いつもと違うような…」
「そう?」
言いながら、ベッドへと移動する。
「ええ。なんだか…」
「別人みたい?」
「はい……いえ、悪い意味じゃありませんので、気を悪くしないでください」
「今までは猫被ってたの。で、疲れたからヤメタんだ」
先生が私の右足首を持って、ゆっくりと曲げている様子を見ながら話す。
「何故ですか?」
「それって……猫被ってた理由? それともヤメタ理由?」
「できれば両方教えていただけると、ありがたいんですが」
「二十歳も過ぎた娘が丁寧な言葉ひとつ話せないようじゃダメだと思って、頑張ってたんだ。でも毎日続くと、さすがに疲れてきて……で、ヤメタ。……これが1つ目の理由」
周囲は程よくざわめいていて、たぶん私達の話し声は聞こえてないだろう。
「2つ目もあるんですか?」
「2つ目は……大好きになった人に、良く思われたくて頑張ってた。でも……ありのままの自分を知ってほしい、って気持ちがだんだん大きくなってきて……だからヤメタ」
「え! それって……」
先生の手が止まり、私の顔を見つめてきた。
「そ♪ あ〜ぁ。こんな場所で告白する予定じゃなかったんだけどな〜」
「………」
先生の顔が、見る見るうちに赤くなっていく。
「えっと……センセ?」
「……驚きました、私と同じ想いだなんて……。私は……前向きで、行動力があって、太陽のように明るいあなたに惹かれました。実は、あなたが退院してから告白しようと思っていたんです。それが……信じられないくらい嬉しいです。本当に……」
「ってことは両想い?」
「はい」
「やったー!」
思わず左腕だけでガッツポーズをして叫んだ私は、これでもかというくらい周囲に注目されてしまった。
私は全く気にしないけど、先生は可哀想なくらいに真っ赤になっちゃって…………
ごめんね?
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
「勤務が終わり次第、病室の方に行きますから。待っててくださいね」とセンセに言われ、今日ほど「個室で良かった♪」と思った日はなかった。
「こんばんは」
「こんばんわ♪」
先生が病室に入ってきたから、私はベッドの上で座りなおす。
「あなたが『ありのままの自分を知ってほしい』と仰ったように、私も……ありのままの自分を知っていただきたいと思いました」
「ありのままって……普段は、そんな話し方しないってコトなの?」
「いいえ。私は家族に対しても、この話し方なんですよ? これはもう癖なのかもしれませんが、……お嫌いですか?」
「そんなことナイよ? むしろ私の方が、言葉遣いを直さないとダメかも……」
「あなたは、あなたのままでいいですよ。そのままで、いてください」
「うん、了解♪ で?」
「ええ。名前のことなんです。『たかし』と呼ばれていますが、本当は『りゅう』といいます。私の名前は、大門隆(だいもん りゅう)なんです」
「……代紋…龍?」
当て嵌めるべき漢字が頭に思い浮かんでこなくて、とんでもない字が出てきた。
眉を寄せて考え込む私を見て、先生が吹きだした。
「もしかして、違う字が浮かびました?」
「あはは……ごめん」
「わかりますよ。学生時代から、からかわれていましたから。『隆起』の『隆』なんです。あの字が『たかし』と読めますので、この病院に勤めるようになってから変えました」
「そんなこと、できるの!?」
「呼び方を変えてもらっただけですから、文書の偽造はしていません。それに此処の事務長は私の父ですから、大丈夫なんですよ。ちなみに院長は伯父ですけどね」
「そうなんだ……。あ、でも……聞いてもいい? 『りゅう』って名前、嫌いなの?」
「嫌いじゃありませんよ。でも学生時代に、からかわれ過ぎたので……それで、勤め始めた5年前に決めたんです。『もう他の人には呼ばれたくない。私の愛しい人にだけ「りゅう」と呼んでもらいたい』ってね」
「それって、すごいロマンチック……」
「徳田さん、いえ……聡美さん。私の名前、呼んでいただけますか?」
「うん、喜んで。じゃあ……りゅう?」
「お願いですから、疑問形じゃなくって、ちゃんと呼んでくださいッ」
―― あ、怒らせちゃったかな?
「ごめんね、りゅう。大好きだよ♪」
「……もう、あなたって人は……。私も愛してますよ、聡美さん」
こうして私達は、めでたく付き合うことになった。
もちろん兄貴に報告するよ?
大丈夫、絶対に反対なんかしないって。
誰よりも私が女らしく(?)なることを望んでいたんだもん。「彼氏ができた♪」なんて言ったら、諸手を上げて喜ぶに決まってる!
うん。
― End.―