大学を卒業後2年間は臨時で勤めていたが、公立高校の教員として正式に採用されることになり、この町へ来た。
まず不動産屋へ寄って家探し。何軒か回って、やっと決まった頃には夕食の時間を過ぎていた。
遅い夕食をとり、宿泊先のホテルへ向かっているときに……彼女に出会った。
傘も持たず雨に濡れながら歩き、声をかけてくる男たちをことごとく無視している。
始めは興味本位で眺めているだけだったのに……街灯に照らされて見えた彼女の表情に、何故か胸が痛くなった。
―― 俺なら……あんな顔、絶対させない……
そう思ったとき、不意に彼女が雨の中に消えてしまいそうな感じがした。
実際に彼女は其処に居るのに、その存在が溶けて無くなってしまうような……
俺は慌てて彼女の傍へ行き、その腕を掴んだ。
「おい、何してるんだ! 風邪をひくだろ!?」
俺の傘を持たせると、スポーツバッグからタオルを取り出して頭からすっぽりと包む。
「こんなに濡れて……ダメじゃないか、ん? 家はどこだ?」
そう言いながら彼女の体を拭いた。
こんな形でも彼女の存在を確認しないと、不安でたまらなくなってくる。
なんでこんなに気になるんだ?
―― 惚れた、か?
「帰りたくないの。……あなたの好きなところへ、連れて行って」
「何!?」
―― 初対面の者に、こんなことを言うなんて……君は何を考えてるんだ!?
「バカなこと言うんじゃない」
「バカなこと、なのかな……。あなたがダメなら、他の人にお願いするわ」
―― 他の人だって!? とんでもない! 何か遭ってからじゃ遅いぞ!?
俺だって自分の気持ちに気付いてしまってヤバイ状態になっている。でも他の男に連れて行かれることを考えたら……
「……仕方ないか。俺は駅前のホテルに泊まるんだけど……一緒に行くか?」
たぶん今夜は眠れない。寝不足、決定だ。
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
「こんな予定じゃなかったんだけどなぁ」
体が大きくて寝相も悪いから、いつもダブルの部屋を頼むんだ……とエレベーターの中で、彼女と話す。
まさかこんな展開になるとは思いもしなかったから、もう笑って誤魔化すしかない。
部屋に入って即、彼女に入浴を勧める。「濡れた服はクリーニングに出しておくから、ゆっくり浸かっておいで」……と。
そして彼女が入浴している間に、今後のことを考えた。
まずはリラックスさせて、話を聞く。それから、あとは……………
―― なるようになるか……
入れ替わりにシャワーを浴びた後、2人してビールを飲みながら彼女の話を聞いた。
彼の浮気。お見合い。政略結婚。
―― 俺よりも若いのに、こんな体験をしているのか……
「……浮気は嫌なの。私だけを愛して欲しい、っていうのは我侭なのかしら……」
「我侭なんかじゃないよ」
「あなたも、そう思う?」
「ああ(誰しも、自分だけを見て欲しいと思ってるさ)」
「良かった……。きちんと両親に話して、婚約を破棄してもらうわ」
―― それが一番だな
「さっき、他の人に着いて行くとか言ってたけど……あれは本気で言ったのか?」
そう、俺は気になっていた。彼女の、あの言葉が……
「え?」
「正直に答えてほしい。……誰でもよかったのか?(頼むから、違うと言ってくれ!)」
「あれは嘘よ。私……あなたに断られたら、あのまま家まで歩いて帰るつもりだったの。本当は、あなたじゃなきゃ嫌って……そう思ってたわ。あなたの手が、とても優しかったから……あなたに包まれたいと思って……」
―― そうだったのか……
「俺は……君がいろんな奴から声をかけられているのを見ていたんだ。ことごとく無視している様子をね。でも君が急に、あの雨の中に消えてしまいそうな気がして……慌てて腕を掴んだんだ」
「そうなの!?」
―― そうだよ?
「この体ごと、雨に溶けてしまえばいいのかもしれない……って思ってたわ。それがあなたに伝わったのかしらね」
「もうそんなこと、思わないでくれよ。こんなに1人の女性が気になったのは、初めてなんだ。だから俺のためにも……頼む。彼と別れたばかりの君に、こんなこと言っちゃいけないんだろうけど、でも……君に惚れてしまった俺のために、な?」
「惚れた、って……」
「一目惚れらしい」
「でも……私を此処へ連れてくるの、困ってたんじゃなかった?」
「惚れた相手だから、な。自分を抑えられなかったらどうしようとか、思うだろ?」
「抑えられなくてもいいわよ? 私も同じ気持ちだもの。でも……約束してほしいの」
「約束?」
「お互い名乗らない、素性も明かさない、今夜だけの関係。でも次に出会えたときには恋人になる。……どうかしら?」
「どうしてそんなことを!?」
「私の拘り、かな。……さっき彼と別れたばかりなのに、もうあなたのことが好きになってるわ。こんなに変わり身の早い女だったかしら、って……自分でも驚いているの。だからこのまま恋人になっちゃうと、この先……続かないような気がして……」
―― 彼女の言いたいことは分かる。だけど俺は……
「不安なの! だからまた出会えたら『あなたとの出会いは運命なんだ』って思えるわ。『あなたと私は結ばれるべき存在なんだ』って確信できるから……」
俺の言い分もあったけれど、それは黙っておくことにした。こんな状態のときに「大丈夫、そんなことない」と言っても、伝わらないだろう。
「……分かったよ。そこまで言うなら……」
そう言って、彼女を抱きしめるしかなかった。少しでも俺の気持ちが伝わるように、と願いながら……
彼女を抱き上げてベッドに下ろしたとき、ふと思った。
「名前が呼べないのは、ちょっと困るから……俺は『キョウ』と呼んでくれ。君は?」
「それなら私は『リサ』で。でも……バージンじゃなくてごめんなさいね?」
「お互い様だろ?」
彼女の唇に口付ける。
「……そうよね。ナニ言ってるんだろう、私」
「緊張してるのかな?」
「そうみたい。心臓がドキドキして……煩いくらいだわ」
「どれ? 見せてごらん」
俺は、そう言って……彼女が着ていたバスローブの紐を解いた。
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
あれから半月ほどが過ぎたが、まだリサが見つからない。
あの辺りを歩いていたから……と目星をつけて半径1キロあたりをうろついたり、通学できそうな距離に在る大学で聞いてみたり……自分にできる範囲でだったけれども、リサを探していた。
あの夜のことが、頭から離れない。
本当に、あれで良かったのか……と考えてしまう。
―― 名乗っても良かったんじゃないか? なんてバカな約束をしたんだ!?
リサに会いたい! でも手がかりが何も無く、後悔ばかりしている。
―― 奇跡でも起こらない限り、もう会えないんだろうか……
今日から俺のクラスの生徒たちに会う。リサのことばかり考えていた頭を、ちゃんと本業用に切り替えないといけない。
―― 挨拶でトチるなよ、俺!
わざわざ彼らにネタを与えることなど、するものか。小さな声で「よし!」と気合を入れて、でも人には気付かれないように振舞う。
「3年7組って、ココか〜」
言いながら扉を開けたとき、彼女と俺の目がバッチリ合った。
「「!!!!!」」
君が其処に居た。
― End.―