菜の花

「なっつみ〜〜、おはよ♪」

 声がした方を振り向こうとする間もなく、背中にドンッ!と衝撃が来た。

「みのりちゃん……痛い……」

「あはは……ごめんごめん」

「ホントに悪かった、って思ってる?」

「思ってない」

「みのりちゃん、てば……もう……」

 私の名前は東条菜摘(とうじょう なつみ)。背中に抱きついてきたのは、クラスメイトで親友の大沢みのり(おおさわ みのり)ちゃん。

 これはいつもの登校風景。

 高校2年に進級したにも関わらず、毎朝変わることなく同じことやってる私たち。正直言って、自覚ナイです。はい。 

  

「あれ?お姉さんは?」

「お姉ちゃんは生徒会の引継ぎで忙しいんだって。だからもう登校してるよ? 今頃は生徒会室に居るんじゃないかなぁ」

「大変だねぇ」

「うん…」

 

 去年、生徒会の会長―― それも我が校初の女性会長を務めた姉。

 美人で、頭も良くて、行動力もあって、先生たちの信頼も厚くて……名前まで、すごいの。『東条麗華(とうじょう れいか)』=麗しい華!

 とっても優しくて……自慢でもあり、コンプレックスの元でもある姉。

 私は、ごく普通の女の子。

 なのに初めて会う人には「ほぉ、東条の……」と、まずはこう言われてジッと見つめられる。そして次からは必ず「東条の妹」と言われ、呼ばれて……。

 私個人のことを、ちゃんと認識してくれるのは……みのりちゃんと、家族だけ。

「そんなこと無いわよ。菜摘は“菜の花”みたいに可愛いじゃないの♪」

 お姉ちゃんは、そう言ってくれるんだけど……

 “寂しい”って思うのは贅沢なの?

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 上靴に履き替えようとして靴箱を開けると、可愛い水色の封筒が入ってた。

「あれ? これ……」

「菜摘、どうしたの? ……って、え!? 手紙?」

「そう……みたい」

「何、何、告白? ちょっと開けて読んでみてよ」

「そんなことないと思うけど……えっとね……『東条菜摘様 大切なお話がありますので 昼休みに体育館の裏まで来てください』……だって」

「差出人、書いてる?」

「うん。……『3年4組 藤田章吾(ふじた しょうご)』……って、藤田先輩!?」

「あのバレー部の部長だった?」

「みのりちゃん、どうしよう……」

「『大切なお話がある』って書いてるんでしょ? なら行くっきゃないでしょうね」

「……うん」

 

 ……で、昼休みに体育館裏まで行った私は……自分でも訳が分からないうちに、藤田先輩とお付き合いすることになっちゃった。

 カッコ良くて包容力があって人気者の先輩から告白されるなんて、ホント夢みたい。

 

 嘘じゃないよね?

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

「菜摘ちゃん」

「章吾先輩」

 私たちは付き合うようになって、そう呼び合うようになった。

 ちゃんと認識して呼んでくれる先輩の存在は、私の心の中を占領していった。

 なのに……

 

  

「暇だなぁ〜誰も来ないよぉ……」

 ある日の昼休み。

 委員の当番で図書室に居た私は、賑やかな声が近づいてくるのに気付いた。

―― あ、先輩だ♪

 声を聞いただけでグループの中に章吾先輩が居る、と分かった私は―― 先輩の友達と顔を合わせるのが恥ずかしくなって、咄嗟に扉の影に身を隠した。

 

「なぁお前、麗華嬢の妹と付き合ってんだって?」

「まぁ……」

「へぇ? 麗華さん狙いじゃなかったのかよ」

「なぁに言ってんだよ! 麗華さん狙いに決まってんじゃん、な♪」

「あ、そっか。『将を射んと欲すれば、馬を』ってヤツか?」

「……まぁな」

「な〜んだ、やっぱそうか〜〜」

 話し声は、図書室の前を通り過ぎて行く………。

 ショックだった。

 聞かなきゃよかった。

 私はその場所に座り込んだまま、声が出ないように両手で口を押さえて泣いた。

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

「菜摘ちゃん……なんか最近、元気がないみたいだけど……何かあった?」

「ううん。何も……ないです……」

 変わらずに、私と章吾先輩は付き合ってる。

 登校は無理だけど、下校時は一緒に帰ってるの。

 先輩の言葉はとてもショックだったけど、だからと言って私の方から離れるなんてことはできなかった。

 初めて男の人と付き合って、こんなに好きになっちゃって……でも先輩の心は、お姉ちゃんに向かってて……

―― 辛いけど、でも……私のことを、隣に置いてくれてる間は一緒に居たい……

 

「……ちゃん、菜摘ちゃん、てば! ……聞いてた?」

「え、と……?」

「ちょっとオレん家に寄ってくんない? 渡したいものがあるからさ」

「あ、はい……」

 章吾先輩の家に行って、促されるままに部屋まで上がって、CDを渡されて……

「菜摘ちゃんを抱きたい。……イイ?」

「え!?(お姉ちゃんのことが好きなんでしょ? なんでそんなこと……)」

「ダメ?」

……ダメ、じゃない……

 章吾先輩が私のことを好きじゃなくても、私は先輩のことが大好きだから……拒否なんてできなかった。 

「よかった……」

 ホッとしたように言った先輩は、私を姫抱っこしてベッドへ寝かせてキスをした。

 それが始まりの合図だった。 

 

 大好きな章吾先輩に抱かれて、嬉しいはずなのに……辛くて、悲しくて……涙が溢れてきて止まらなかった。

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

「菜摘、藤田君から電話なんだけど?」

「……居ないって、言って……」

 

 章吾先輩に抱かれた翌日から、私は先輩を避けた。

 あの優しい手も唇も、私じゃなくてお姉ちゃんを求めていたんだと思うと……

 

「あんたねぇ……携帯切って、居留守使って……いったいどうしたの!?」

「お姉ちゃんには言いたくない」

「藤田君と付き合ってんでしょ? 喧嘩したの? なら、ちゃんと仲直りしなさい」

喧嘩じゃない……喧嘩じゃないもん! そんなレベルじゃないもん!

「な、つみ?」

「お姉ちゃんなんて大嫌い! うわぁぁぁぁん……」

 

 私は大声を上げて泣いた。

 今まで声を出して泣けなかったのが、一気に爆発したみたいな感じだった。

 八つ当たりだと分かっていたけど、自分の気持ちをコントロールできなかった。

―― お姉ちゃん、ごめんなさい……

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

コン、コン……

「……ん……なぁに?」

 泣き疲れてベッドで眠っていた私は、ノックの音で目が覚めた。

「菜摘ちゃん?」

「! なんで……」

 姉だと思って返事したのに、開けたのは章吾先輩だったからビックリ。飛び起きた。

 

「やっと会えた。……実はさっき東条に呼び出されて『ウチの菜摘を泣かせたわね!いったい何したのよ! 事と次第によっちゃあ許さないからね!』ってまぁ、えらい剣幕で怒鳴られてさ……」

 そう言いながら章吾先輩が入ってくる。

「お姉ちゃんが? うそ……」

「アイツ怒らせたら、すっげー怖ぇんだぞ? だからオレは近づきたくないのに」

「え? だって章吾先輩、お姉ちゃんのこと好きなんじゃ……」

「やめてくれよ! なんでそんな話に……って、菜摘ちゃん!? もしかして……」

 章吾先輩がベッドの横まで来て、しゃがみ込んで私の顔を覗き見る。

「……図書室の前で、先輩たちが話してるの、聞いた……」

「あれは違うんだ!」

「私……じゃなくて、お姉ちゃんが……好き、って……」

 また涙が出てきた。と同時に章吾先輩に抱きしめられて…… 

「違うんだよ。奴ら……学校の廊下で話を始めやがるから、言葉を濁したんだ。あの後、屋上でちゃんと宣言したんだぜ。『オレは菜摘が好きだー!』ってな」

「……ホント?」

「ああ、本当だ。だからオレのクラス全員が知ってるぞ? もちろん、東条もな」

「じゃあ、あれは……お姉ちゃんじゃなかったの?」

「菜摘?」

 訝しげな声音で先輩が聞き返す。

「ちゃんと私のことが、好きで……抱いて……くれた…?」

 途端に先輩の手に力が入り、息もできないくらいに力強くギュッと抱きしめられた。

「菜摘ごめん! ごめんな、菜摘。……そんな辛い気持ちで……なのにオレ…」

「先輩に抱かれて、嬉しかった、けど……悲しくて……辛かった」

「うん……」

「あの優しい手も、唇も……私じゃなくて、お姉ちゃんを求めてたんだ、って思ったら……章吾先輩に、会えなくなっちゃった……」

「辛かったな。……ごめんな? ……オレが大好きなのは菜摘だから、な?」

「うん。私も……章吾先輩が大好き」

「……その『先輩』って言うの、ナシにしないか?」

「それは……章吾先輩が卒業してからで、イイ?」

「ん。……敬語を使わなくなっただけでも、良しとするか…」

 そう言って章吾先輩は、私の額にキスをした。

 

 ねぇ先輩、分かる? いま流れてるのは嬉し涙だよ。

 

 

― End.―

2008.11.19. up.

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