初対面は最悪だった。
その日。母に買い物を頼まれていた私は、仕事帰りに寄ったスーパーでカゴを持って店内をウロウロとしていて―― あるモノを発見した。
「へぇ〜〜 『むぎめコーヒー』って、変わった名前……」
「オマエ馬鹿!?」
「え…?」
声のした方を見ると、牛乳の1リットルパックを持った男性が立っていた。
「それは『麦芽(ばくが)』って読むんだよ!」
「あ、……そうなんですか……(うわ、めちゃめちゃ恥ずかしい)」
「オマエ、こんなのも知らねぇのかよ。社会人なんだろ? ホント馬鹿だよな」
呆れたような口ぶりで言われ、おまけに上から下までジロジロと見られ、かつて経験したことがないくらい嫌な気分にさせられて……もう気分は最悪。
いつも周囲から「癒し系だね」と言われている私が、生まれて初めて大声をあげた。
「馬鹿馬鹿、って……。なんで初対面のアンタに言われなアカンの!?」
「……え?」
「アンタかて、間違うことくらいあるでしょ? 今までノーミスで生きてきたワケちゃうでしょ? そんな偉そうに、人を見下した言い方せんでもええやんか!」
悔しくて泣きそうになってきた私は、クルリと方向を変えて歩き出した。
「あ、おい……」
その人は手を伸ばして、引き止めようとしているみたいに見えた。けど無視。
感情が昂(たかぶ)っていた私は、持っていたスーパーのカゴをレジ横に積み、
そのまま何も買わずに店を出た。
あんな失礼な人が居るやなんて!
人のこと「馬鹿馬鹿」て上から目線でモノ言うてからに、ホンマにもう……おまけに、品定めしてるみたいにジロジロ見てくるし!
コッチに家族で引っ越してきてから4年経つけど、こんなん初めてや。せやけど商品をカゴに入れる前で良かったわ。あんな人と一緒にレジ並ぶことになったら……
―― あ!! 頼まれてたモン、買うん忘れた!
「近所のコンビ二で売ってるかなぁ。無かったら、どないしよ。お母ちゃん、怒るやろか……」
スーパーで買うはずだった“頼まれ物”を頭に思い浮かべながら、コンビニを目指してトボトボ歩く。と同時に
「あんな人には滅多に会わへん。そうに違いない。今日は運が悪かったんや」
そう自分に言い聞かせて、気持ちを静めた。
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
それなのに翌日。課長に呼ばれて応接室に入ったら、あの男性が……
「!!! なんでココに……」
「“お客様”だから」
ごもっとも。
応接室のソファに座ってはるんやから、“お客様”てゆうんは分かりますよ?
ただね、あんな失礼な人が『お客様や』てゆうのが信じられへんねん。てゆうか「イヤやー! ウソやろ!?」てゆうんが本音やねん。
―― せやけど……なんで私、ココに呼ばれたんやろ……
「君たちは、知り合いなのか?」
「え、あの……」
課長に聞かれて、思わず口ごもる。
――どない言うて説明したらええん?
「いえ、僕たちは互いの名前も知らないんです。昨日、初めて彼女と出会いまして……とても印象に残ったものですから、覚えていたんですよ」
笑顔でソツなく答えている彼を見て、驚いた。(昨日とは別人やんか!)
それにしても「とても印象に残ったものですから」って……(上手いこと言うやん)
あんな出会い方したら、嫌でも覚えてしまうやろけど……(モノは言い様やねぇ)
「ほほう。運命の再会かい?」 (課長、なんちゅうことを……)
思わず課長に目を向ける。
「ええ。課長もロマンチストでいらっしゃる」 (アンタも調子に乗らんといてよ!)
抗議の目で彼を睨む。
「それなら後は、若い2人に任せるとしよう」 (まさか、見合い!?)
「課長! 私はイ……」
「はい、ありがとうございます」 (なんでアンタが返事するん?)
続けて言おうとした「イヤです」を彼の言葉に遮られて、私は唖然とした。
課長は、そんな状態の私を残して…さっさと応接室のドアを開けて出て行った。
残ったのは2人だけ。
課長からは「応接室に来てくれ」としか聞いてなかった私は、何をどうしたらいいのか分からなくて……ドアとソファとの中間地点に立ったまま、俯いていた。
「オレの名前は榊栄太(さかき えいた)、24歳」
あれからどれくらいの時間が過ぎたのか。静まり返った部屋の中で、いきなり彼が自己紹介を始めた。
驚いて顔を上げると、目が合った。
―― え゛! いつからコッチ見てたん?
「オマエは?」
「私!?」
「そ。オレが名乗ったんだから、オマエも教えろ。じゃないと、ずっと『オマエ』って呼ぶことになるぞ」
―― アンタその論法は強引やで。それに……
「ずっと?? て……どうゆう意味やの?」
「あとで、ちゃんと説明してやるから。……オマエの名前と年齢は?」
「……長谷川茜(はせがわ あかね)、22歳です」
あきらかに『嫌やけど、しゃあないなぁ』オーラを出している私に、榊さんは一言
「了解」とだけ言って、目を閉じた。
その理解不能な行動に、私の頭の中で「え? なんやの?」が増殖していく……
「了解、て……それだけ? 説明してくれるんちゃうの?」
思わず口に出して言うと、榊さんがカッと目を開いて立ち上がった。
―― うわっ! 何が起きるん!?
その真剣な表情に、私はビビリながらも身構えた。
けど……
「茜、昨日は本当に悪かった。すまん」
―― え…??
榊さんは、いきなり深々と頭を下げて謝ってきた。
体に入っていた力が抜けて、ポカンと口を開けたまま見入ってしまう私。
「それって……昨日のアレのこと?」
「初対面の女性に、言いたい放題言ってしまったというか……弟と会話するような感覚で、言葉を選ばなかったからな。……茜に不快な思いをさせてしまった」
「弟さんと……。そうか。せやから、あんな偉そうに言うてんね。……納得したわ」
「納得したけど、許さない…?」
腰を折ったままで顔を上げた榊さんは、困ったような表情で私を見てきた。
「いや、そうゆう意味やのうて。……たしかに第一印象は最悪やったけど、その理由かて分かったし……もういいです。はい。許します」
「はぁ……良かった……」
そう言って笑顔になった榊さんが“爽やかな男性”に見えて、ドキッとした。
ちゃんと「悪かった」て謝るなんて……案外、ええ人かも…?
―― 昨日とは、えらい違いやわ。いやホンマに
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
「さてと。じゃあ仕事の話をしよう。……茜、座ってくれ」
「はい。でも……なんで『茜』やの? 普通、『長谷川さん』ちゃうの?」
そう言いながら、榊さんと向かい合って座る。
「あ、まぁ……それも追々説明してやる。まずは仕事だ」
「……はい」
渋々頷いた私に、榊さんは順を追って説明してくれた。
榊さんトコの会社が今度新しくゲームソフトを開発することになって、デザイン画やイラストを描いてくれる人が必要になった。
で、取引先であるデザイン会社(つまりココ)の社長に相談したら、社員を1人、派遣してくれることになった。それが……
「私やの!?」
「そういうこと。やるからにはヒットさせる気で取り組むけど、必ずしも当たるとは限らない。最悪、それ一作だけで開発チームが解散する場合だってあるだろう」
「たしかに……」
「それで人事課長が『新しく雇用するよりも、取引先の会社から誰か派遣してもらえないだろうか?』という案を出して、此方(こちら)の社長に相談を持ちかけた。ま、社長同士の仲が良いから実現したんだけどな」
「はぁ……」
「デザイン画も欲しいけど、“登場人物や風景のイラストが描ける”というのが重要なんだ。そういった条件も全て含めて推薦されたのが茜、オマエだ」
「はい……」
―― 話が大きすぎて想像つかへんけど……
「経験は?」
「中学・高校と美術部で、短大も美術系で……。入社して初めて任された仕事は、デパートの包装紙のデザインで……。私はデザインするのも好きやけど、イラストを描く方が好きてゆうか……得意やねん」
「こちらの希望通りだな。で……茜、来月からオレの所に来てくれるか?」
「コレって社長命令で『行ってこい!』とちゃうの? 私に決定権があるん?」
「此方の社長は『行ってほしいが無理強いしない』と仰っている。断ったとしても、茜の評価が下がることはない。それから……オレの所に来ても、此方の席は有る。ちゃんと戻ってこられるから、安心してくれ」
「そしたら……私、榊さんのトコに行きます。でも派遣て……私の『お給料』は、どっちの会社から貰えるん?」
そう聞いた途端に、榊さんがプッと吹き出した。
―― なんでそこで笑うん?
「……ああ、確かに大事なことだよな。オレの所に居てくれる間は、我が社の規定により支払われる。……それも安心しろ」
―― 笑いながら言わんといてよ!
「そんなに笑わんでもええでしょ!? ……私、微妙な立場になるんやもん。『行く』て決めたけど……これから先、不安なことも出てくるやろし…」
「だからオレが、ずっと茜の傍に居てやる。心配するな」
その台詞に、マジマジと榊さんの顔を見つめてしまう。
「……どうゆうことやの?」
「オレが開発チームの責任者だ」
―― はい!?
「そんなん聞いてへん! 榊さん、なんも言わんかったやん」
「今、言った」
「イケズや〜〜!」
「何だそれ」
「『イジワルや〜〜!』て言うてるのっ! 始めから分かっとったら……」
「引き受けなかったか?」
「そうやのうて、言葉遣いのこと! ……やっぱし榊さんイケズやわ。榊さんが私の上司になるんやったら、敬語を話さなアカンでしょ? せやのに初対面がアレやったし、今日かて普通にしゃべってるし。もう今更、修正できひん……」
―― どないしよ……
口元を両手で覆って悶々としている私に、榊さんはニッコリと笑った。
「気にするな。オレも初対面から、酷かっただろ?」
「せやけど……」
「オレが公私共に、しっかりと茜の面倒を見てやるから心配しなくていいぞ♪」
「え? なんで“公私共に”やの?」
「『オレの所に来てくれる』って言っただろ?」
―― はぁ!?
さっきまでの“爽やか笑顔”が、“意味深なニヤリ”に変わってる!
「ちょっと待って! そんな意味も入ってたん!?」
「茜はオレを2度、惚れさせた」
「私、そんな覚えないもん」
「オレは、これから何度でも茜に惚れるんだろうな〜」
「んなこと言われたかて……」
「オレ、本気で落とさせてもらうから『長谷川さん』なんて呼べない。OK?」
「そんな〜〜」
私は「なんでこんなことになったんやろ……」と考える一方で、「捕まってしもたな〜」なんてことも思っていた。
優しくてイジワルな、この人を……好きになるまで、あとちょっと
― End.―