痛いのはイヤ!

【雅裕side】

 初めて顔を合わせたとき、僕たちは普通に会話ができていた。

 椅子に座ったときの彼女は、とても緊張している様子だったけれど…それでも僕の質問には答えてくれていた。

 なのに……

 僕が椅子の背もたれを後ろに倒した途端に、彼女の身体がカタカタと震えだした。

 

「!? ……ヤダ、なんで……」

 彼女自身も驚き、この状況に戸惑っている。

 なんとか腕を動かし、自分で自分の身体を抱きしめて堪えようとしているようだが……それでも身体の震えは止まらない。

「怖いの?」

 彼女の上から覆いかぶさるような姿勢で、聞く。

 僕にとっては、いつもの体勢。けれども彼女には威圧感を与えてしまうかもしれない、と思って……できるだけ優しい声で話しかけてみた。

 

「そう、みたい。……身体が、勝手に震えて……どうしよう……」

 彼女は泣きそうな顔で、僕を見つめ……いやもう既に、目には涙を浮かべていた。

「もしかして……初めて?」

「……はい」

 ぎこちない動きで頷く彼女を見ながら、僕は心の中で溜息をつく。

 『経験豊富』とまではいかないけれど、僕が出会ってきた多くの人たちの中で、こんなに震える子は初めてだった。

 

「じゃあ、慣れるまで……毎日、来れる?」

「え、毎日……?」

「こんな状態じゃ無理だよ? まずは君が、此処に、じっと座れるようにならなきゃ……僕は何もできない。言ってる意味、分かるよね?」

 彼女の手を取り、じっと目を見つめながら噛んで含めるように言って聞かせる。

「はい。でも……痛いんでしょ?」

「そりゃあ……多少なりとも、痛いけど……」

―― 分かってて此処に来たんじゃないのか!?

 

「私、痛いのはイヤ! ……ってゆうか……ダメなんです。座るのに慣れたとしても、その……痛みを我慢できないと思うので……」

「う〜ん……それに関しては、『善処する』としか言えないなぁ」

「あの……痛かったら、泣いてもいいですか? 叫んでも……いいですか?」

「え!? それはちょっと……」

    困る!

    泣かれるのは、まだ良しとしよう。

    でも叫ばれるのは困る!

    叫び声を他の人たちに聞かれるのは、とんでもなく拙い!!

 不安げな顔で、僕を見つめてくる彼女。頭を抱える僕。

 そして僕は悩んだ末に、彼女に返事をした。

 

「……分かった。君には幼児向けの麻酔を使おう」

 

 

 僕は武内雅裕(たけうち まさひろ)、歯科医。

 彼女は藤森優華(ふじもり ゆうか)さん、患者。

「この近くの保育園に勤めているんです」

 という彼女は21歳で、とても健康な歯の持ち主。今まで歯医者の世話になったことは全く無かったそうだ。

 だが両側の下の歯(親知らず)が生えてきて急に痛みだしてきたために、此処『武内歯科医院』にやって来た。

 元は父が始めた医院だけれど―― 僕が歯科医師になり、そして2歳下の弟も免許を持ち、父が引退し―― 今では僕たち兄弟で患者を診ている。

 

 彼女は身体も小さくて、同じ様に口も小さくて、親知らずが出てこれるような場所など無い。なのに生えてくる、というのは物理的にも無理。痛むのは当然のこと。

 だから僕は……

 両側の(まだほんの少ししか顔を見せていない)親知らずを抜くことにした。

 でも彼女は……

 初めて座った歯科医院の椅子に、無意識の内に拒否反応を示してしまい、治療ができる状態ではなかった。

 そこで僕は……

 彼女が慣れるまでの間、互いの自己紹介や世間話をすることにした。

 

 そうして彼女の口から冗談が言えるようになった頃から歯の治療を開始し、治療を続けていくうちに僕は……自分が彼女に好意を持っているのに気付いた。

 医師になったとき『患者には恋愛感情を持たない!』と決めていた僕が、それを忠実に守り続けてきた僕が、まさかこんな気持ちになるなんて……。

 けれど、今なら分かる。

 初対面での印象が、とても強烈だった彼女。

 話をしているうちに、僕はその純粋で可愛いところに惹かれていった。

 様子を窺ってみると……彼女も、どうやら僕のことを気に入ってくれているようだ。

 

 次の診察で、治療は全て終わる。もう『医師と患者』という枷(かせ)が外れる。

 確か「彼氏は居ない」と言ってたから、さっそく交際を申し込もう。

 彼女の反応が楽しみだな♪

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

【優華side】

 私は小学生のときに『きれいな歯のコンクール』というのに学校代表で選ばれたほど、『歯』には自信がある。

 ある日。代表を選出するために、候補の子たちと一緒に学校医の歯医者さんへ行ったとき……偶然にも、同じクラスのボス(というあだ名の男の子)が治療をしているところに出くわした。

 そのとき生まれて初めて歯を削るときの音を聞いた私は、背筋がゾッとして……その場から動けなくなってしまった。

 それに加えてあのボスが泣き喚く姿を見てしまい、「絶対に歯の治療だけはしたくない!」と強く心に思うようになった。

 

 もともと痛いのが苦手な私は、それまで以上に歯を大切にするようになり、いろんな人から「綺麗な歯をしてるのね」と言われるようになった。

 それが嬉しくもあり、私の自慢でもあった。

 なのに!!

 神様は意地悪だ〜〜(泣)

 

 

 ある朝。いつものように歯を磨いてて、「あれ!?」 と思った。

 両方の下の奥歯よりもまだ奥に、小さな白い物が見えていて……なんだか痛いような感じがする。

「親知らずじゃないの?」

 母にそう言われたけど、「そんなわけなでしょ!?」という気持ちでいっぱいだった。

―― だって親が知らないうちに生えるから『親知らず』って言うんじゃないの?

 だから“痛い”なんてことは絶対に無い! って……ずっと思っていた。

 でも現実に、歯の痛みは日に日に増していき……私は生まれて初めて歯の治療をするために歯科医院へ行くことを決めた。

 

 保育園へと通勤するとき・帰るときに、いつも横目で見ながら通り過ぎていた『武内歯科医院』。

―― まさか自分が来ることになるなんて……

 症状を説明し、医師に勧められるまま椅子に座り、緊張しながらも口を開けて見せて……までは、なんとか無事にできた。

 でも!

 椅子を倒されたとき、勝手に身体がカタカタ震えだして……自分でも止められなくなってしまって……どうしようもなく不安になってきて……

 そんなときに優しい声をかけてくれた彼(=医師)が、私には救世主のように思えた。

 よくよく考えたら、“この人が、私に、痛いことをする!”というのに……なのに、そのときは、本当に、そう思ってしまったの。

 

 黒縁の眼鏡に、大きなマスク。顔がほとんど隠れていたけど、それでも彼の優しい『目』は見ることができた。

 それに彼の大きな『手』が私の手を包んでくれて、とても安心できた。

 私は背が低くて、同じ様に身体の各部分も小さい。 『手』だって、そう。

 おまけにポッチャリしてて、爪も短く切ってるし……ネイルなんて似合わない。

―― したことも無いけど……

 子どもみたいな手をしている私は、女性でも男性でも―― 綺麗な手をしている人が好きで、とっても憧れている。

 その理想的に素敵な手の持ち主が、彼だった。

 確かに男性の手なんだけど、大きくて指が長くて―― 私の父みたいに、硬くてゴツゴツしていないの。

 治療に対して恐怖を感じている私が、この環境に慣れるようにと……いろんな話をしてくれる彼は、とっても優しい。

 互いに自己紹介をしたときは「30歳なんだ」と教えてくれた。

 私は患者の一人にすぎなくて、会話だって……仕方なく私に合わせてくれているだけなのかもしれない。

 でも私は、彼のことが好きになった。

 

 大人な彼には“素敵な彼女”が居るかもしれないし、こんなお子様みたいな私のことを好きになってくれるなんて思えない。

 この気持ちが報われる可能性は、ほとんど無いと思う。それに治療が終わったら私たちの接点は無くなって、もう会えなくなってしまう。

 だけど……それまでは、恋したままでいさせてね。

 想うだけ、は自由でしょ?

 

 

― End.―

2009.07.21. up. 2011.08.24. 移動、加筆修正.
此方に入れたので、安心して楽しめるんじゃないでしょうか?(笑)
意味深な状況描写や会話で始まって、ドキドキ感いっぱい! 読み進めていくうちに、「な〜んだ、歯医者さんだったんだ……」となる。 (#^.^#)
当時は、そういうのも狙って書きました。 オリジナルはこちら(別窓が開きます)

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