前途多難…かも

(03.香織)

 

 

私の自宅は、とても便利な場所にある。

門を出て…

   右に向かって徒歩5分の所に、桜花爛漫学園。

   左に向かって徒歩7分の所に駅。

   通っていた短大は、駅より遠いけど…それでも家から自転車で10分の所。

   勤めていた保育園は、線路の反対側。でも、駅から徒歩3分の所。

 

だから、まぁ…要するに…『電車で』通学や通勤の経験が無いってことなの。

妹は大学の4年間、電車通学していたけど…私は『定期』を持ったことも無い。

だけど来週から勤める会社は…電車に乗って、5つ向こうの駅…。

 

私はドキドキしながら…係りの人に教えてもらって、記入した用紙を渡して…
『私の』定期を手に入れた。

ちゃんと自分の名前が書かれているのを見たら、顔が緩んじゃって…えへへ♪

大事に大事に財布の中へ入れて、自宅へ戻った。

 

 

初めての電車通勤。ワクワクしてきちゃった♪

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

満員電車の中。

私は…ほんの数分前まで「楽しみ〜」なんて思っていたことを、後悔していた。

 

こんなに押したら潰れちゃう!っていうくらいギュウギュウ詰めで

顔の前には男の人の背中があって、まともに息さえ吸えなくて

周囲に埋もれてしまって…自分の背の低さを再認識させられて

ホームに降りたときにはもう、ほとんど体力を使ったみたいに疲れてしまった。

 

それでも何とか、会社まで辿り着いたけど…こんな状態で、頭を使わなきゃいけないって…

 

結構キツイです…

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

総務って、ここだったんだ……。おはようございます♪」

この前に来たときは、気づかなかったけど…私は『総務』と書いたプレートのあるドアをノックして入った。

 

「おはようございます。今日からよろしくね」

私と似たような背丈の、とても可愛い人に笑顔で挨拶されてドキドキした。

嬉しくて嬉しくて

「はい。羽山香織です、よろしくお願いします」

そう言って…ふと左手の薬指に嵌っている指輪を見て、ビックリ!

 …結婚、してるの!?

 

「私は徳田優希(とくだ ゆうき)。夫は…システム開発に居るの」

「あ…すみません。私、そんなにジッと指輪を見たつもりなかったんですけど…気を悪くしたのなら、ごめんなさい。本当にすみません」

「そんなに恐縮しなくてもいいのよ?同い年なんだし♪」

「え!同じ…なの?…良かった〜〜 …じゃあ…私と友達になってくれますか?」

「ええ、こちらこそよろしくね」

 

私たちは「優希ちゃん」「香織ちゃん」と呼び合うことにした。

 

「で…早速なんだけど…私はこれから何をすればいいの?」

「約束の時間は9時なんでしょ?…まだ20分あるじゃないの。香織ちゃんたち『キーパンチ室』の上司は、営業の課長なの。ココに来るまで座ってたら?」

「ココ?」

「そ。広い室内を区切って『総務』と『営業』とに分けてあるのよ。ドアが別になっているけど、中は一緒なの」

「じゃあ…『キーパンチ室』は何処にあるの?」

「この部屋の奥。更衣室も、あるわよ」

「???」

「いい?」

優希ちゃんは紙とペンと持つと

「…キーパンチャーの人たちが使うドアはコッチで…更衣室のドアはコレで…」

 

位置関係を理解できない私のために、部屋の見取り図を書いて説明してくれた。

 

「へぇ〜〜 そうなってるんだ……。優希ちゃん、ありがとう」

「終わったか?」

「「え!?」」

見取り図に集中していた私たちは、背後の人に全く気付いてなくて。

頭上から声をかけられて、ビックリして振り向いた。

「あ、清水(しみず)課長…おはようございます」

優希ちゃんが頭を下げたから、私も同じように下げたけど…。

 …誰?

 

「こちらが上司の清水課長よ?…課長、今日から配属された羽山さんです」

優希ちゃんが、私と課長さんとを互いに紹介してくれて…納得。

この人が、営業の課長さん。(なんか機嫌悪そうだけど…)

「羽山香織です。よろしくお願いします」

「ああ」

「…………(それだけ?)」

「行くぞ」

言うなり、クルリと向きを変えて歩いていく課長。

 …付いてこい、ってことですか?

 

 

遅れて歩きながら優希ちゃんの方をチラッと見たら、苦笑していた。

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

課長の後に付いて、キーパンチ室に入って…室長の高峰(たかみね)さんと顔合わせしたけど……この人も不機嫌だった。

 

初めて会うのに…まさか私の所為、なんて言わないよね?

でも、この目は「なんで来たのよ!」って訴えてる。

もしかして…私は歓迎されてない…の!?

 

 

「…本格的に仕事に入ってもらうのは、来週の月曜からになる。それから…」

高峰さんに向かって事務的に淡々と話す課長は、凄いというか…何というか…

   この雰囲気が分からないの?

   それとも…分かってて話を続けてるの?

 

周りのことには無関心な人…なの?

 

 

 

「次、行くぞ」

「えッ、はい?(どこへ?)」

「キーパンチャーの講習だ」

「…はい!」

 

どんどん歩いていって、エレベーターに乗って…?ビルの外?

え…と…駅に向かってる…の!?

 

「あの…どこまで行くんですか?」

「隣」

そう言いながら財布を出して切符を買ってる課長は…ホントにもう…

「隣の駅まで買ったらいいんですね?」

「ああ」

 

課長って…普通の会話は、面倒なんだろうか。

まぁ…聞いたことには、ちゃんと答えてくれるから…まだ良い方なのかな…?

 

電車の中でいろいろ考えていたら、課長がボソッと一言

「持っとけ」

「え?」

私は、自分の鞄を持ってるし……課長は手ぶら。

じゃあ…何を持てと?

「あの…」

言いかけた途端に

 

グラッ!

 

「キャァッ!」

電車が大きく横に揺れて、私は倒れそうになった。

のに…

倒れてない?

「だから『持っとけ』と言った」

「あ…ありがとうございます…」

課長が私の腕を掴んでくれたから、倒れずに済んだけど…

 

「持っとけ」=「この先、電車が大きく揺れるから、つり革か手すりを持っておけ」

 

こんなの、誰も理解できないってば!

でも…課長は一見冷たいけど、そうじゃないと思うんだ。

私を助けてくれたし、それに…言葉足らずだったけど、ちゃんと教えてくれた。

苦手なタイプだけど、なんとかやっていけそうな気がする。

 

 

ただ、気になるのは高峰さんの…邪魔者を見るような、あの目がちょっと…ね。

この先、何も起こらなかったらいいんだけどな…

 

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