要らないのに!

(05.香織)

 

 

先週の月曜日は、満員電車の凄まじさを初めて体感した。

そして金曜までは、脳を酷使した。(学生時代でさえ、しなかったのに)

土曜・日曜は、『スーパーバイザー マニュアル』片手に復習した。(同じく)

 

酉島さんに出会ってから、『初めて』のことばかりを体験している私。

初めての会社勤め、初めての電車通勤、初めての定期、……

そういえば…男性と2人だけで食事に行ったのも…酉島さんが初めてだった。

 

今までは、身近な男性といえば…園長先生や、園児のお父さんしか居なかった。

だけど電車の中も、会社の中も、ほとんど男性。

満員電車に乗ってるときは…息が苦しくて、ギュウギュウで…とにかく必死だったけど…あんなに男性とピッタリくっ付いたのは、初めてのことで… 

あの光景を思い出しただけで、顔が赤くなってしまう。

 

 

そんな理由で、時間をずらして早目に出勤することにした。

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

8時20分、職場に到着。更衣室を覗いてみたけど…まだ誰も来ていない。

 …早すぎたかな?

8時25分、優希ちゃん発見!

「優希ちゃん、おはよ〜♪」

「香織ちゃん!? お…おはよ。早いわね…」

嬉しさのあまり、駆け寄って手を握ったから…ビックリさせちゃったみたい。

 

「私のロッカーって…どれを使ったらいいの?」

「キーパンチ室のことは、ロッカーのことも含めて…高峰さんに聞かないと分からないの」

「高峰、さんに…(やっぱり、そうなるんだ…)」

上司になる人なんだから、当然なんだろうけど、でも…なんか聞き辛い。

  

 

 

短大を卒業して保育士になったとき、私を見る保護者の目は様々だった。

   保育の専門知識を学んだ先生、という目で見る人

   子供も産んだことない娘が偉そうに言わないでよ!という目で見る人

   本当に、あなたに任せて大丈夫なの?という目で見る人

それでも…

邪魔者を見るような目で見られたことはなかった。

あんな目で見られたのは初めてで、それが結構ショックだったりする私。

 

仕事に関することは、室長に聞かなきゃ分からないから…聞くけど…

それ以外のことでは、あまり話をしたくないってゆうのが…本音なのよね…。

 

 

 

「でも制服の予備は、総務課に置いてあるの。香織ちゃんのサイズは…何号?」

「9号よ」

「了解♪」

2人して、総務課へ入っていく。

「…ねぇ優希ちゃん、…総務の人って…いつも何分前に出勤してくるの?」

制服の上下(ベストとスカート)を、大きなロッカーから出してくれている優希ちゃんに聞いてみた。

「みんな、10分前くらいだけど?……香織ちゃん、もしかして!?」

「うん。ココでパパッと着替えちゃうから、ちょっと協力してね♪」

制服を受け取った私は、ニッコリ笑って答えた。

「ウソでしょ!?」

驚く優希ちゃんを尻目に、どんどん服を脱いで着替えていく。

「……ハイ終わり! ご協力、ありがとうございました〜」

おどけて頭を下げる私。

「もう…香織ちゃんたら…」

「えへへ♪」

 

でもその様子を見ている人が居たなんて…ふざけていた私たちは、全く気付かなかった。

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

優希ちゃんの好意に甘えて…私の服と鞄は、彼女のロッカーに一緒に入れさせてもらうことになった。

「私のロッカーが分かったら、すぐに移動させるね」

そう言いながら更衣室へ行くと……室長が着替えている最中で…。

 

 

「!…おはようございます」

室長を見た途端、心臓がドキン!として…身構えてしまったけど。

思わず「出たー!」なんて言葉が頭に浮かんだけど。(苦笑)

やっぱり、ご挨拶は基本だし……と思い直して、ちゃんと頭を下げた。

のに

「………おはよう」

 …機嫌悪い?

でも聞かなきゃ分かんないし…

「室長、すみませんが…私は、どのロッカーを使ったらいいですか?」

「『すみません』なんて言葉を頭につけて、言わないで。あなたのロッカーは、この人に聞きなさい」

「!」

 

私は唖然としたまま…キーパンチ室へと歩いて行く室長を見送っていた。

 

「…しょうがないわねぇ」

さっき高峰さんが指した『この人』が苦笑しながら言った。

「え…と…お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。羽山香織です」

慌てて向きを変えて、挨拶をする。

「あなたのことを『しょうがない』って言ったんじゃないわよ?気にしなくていから」

「はい…」

「私は渡部満智子(わたべ まちこ)、よろしくね。羽山さんのロッカーは、こっちよ」

 

渡部さんに教えられたロッカーに荷物を入れた私は、キーパンチ室へ急いだ。

一緒に居てくれた優希ちゃんも、慌てて総務へと走っていった。

 

もう始業4分前になっていた。

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

初めて入ったキーパンチ室の中は、女性ばかりで。

15人のキーパンチャーが原稿を入力していて、キーボードの音だけが響く…。

 

 

あんなに詰め込んで覚えても、即戦力になるかというと…これまた別で。

私は机の上の『スーパーバイザー マニュアル』のページを捲りながら…室長が作業をしているのを座って見ているだけ、だった。

 

そして 『百聞は一見にしかず』って、ホントなんだな…と実感している。

 

室長の動作、一つ一つが勉強になる。

実際に見ると、より良く分かる。

『室長補佐』と言われても…一体どこを補佐するんだろうというくらい、この人は次々と楽しそうに仕事をこなしていく。

見ているうちに「私は要らないんじゃ…」と思えてきて…ちょっと落ち込んだ。

そのとき、営業の方のドアから男性が入ってきた。

 

「お忙しいところ、すみませんが…このプログラムの入力をお願いします」

「『すまない』と思うんだったら、頼まないでくれる?忙しいの」

「!!!!」

息を呑む気配がして…(たぶん私と)同年代であろう男性の動きが、止まった。

横で何気なく聞いてた私も、動けなくなった。

 

「明日、クライアントに渡す物だ。今日中に頼む」

様子を見ていたのか…課長が来て、そう言うと

「…仕方ないわね。間に挟むわ」

室長は、承諾した。

 

 

『すみませんが、〜していただけますか』って丁寧な言葉だと思っていたけど…

『すみません』って、謝罪の言葉だから…安易に使っちゃダメ、ってこと?

『すまない』って本当に思ってないんだったら、口先だけで言うな、ってこと?

 

室長が言いたかったことって、何だったんだろう…。

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

出勤1日目が終わり、ロッカーで着替えながらアレコレ考えていて………時間が経つのも忘れていた。

キーパンチ室から言い争う声が聞こえてきて、我に返ったんだけど…

私、もっと早く着替えて家に帰っていたら良かった。

そしたら聞かなくて済んだのに!……って思っても…もう遅い。

 

「あんな子、要らないのに!どうして採用したの!?」

 

室長の叫び声が、私の心を抉った。

 

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