要らないのに!(05.香織)
先週の月曜日は、満員電車の凄まじさを初めて体感した。 そして金曜までは、脳を酷使した。(学生時代でさえ、しなかったのに) 土曜・日曜は、『スーパーバイザー マニュアル』片手に復習した。(同じく)
酉島さんに出会ってから、『初めて』のことばかりを体験している私。 初めての会社勤め、初めての電車通勤、初めての定期、…… そういえば…男性と2人だけで食事に行ったのも…酉島さんが初めてだった。
今までは、身近な男性といえば…園長先生や、園児のお父さんしか居なかった。 だけど電車の中も、会社の中も、ほとんど男性。 満員電車に乗ってるときは…息が苦しくて、ギュウギュウで…とにかく必死だったけど…あんなに男性とピッタリくっ付いたのは、初めてのことで… あの光景を思い出しただけで、顔が赤くなってしまう。
そんな理由で、時間をずらして早目に出勤することにした。
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8時20分、職場に到着。更衣室を覗いてみたけど…まだ誰も来ていない。 …早すぎたかな? 8時25分、優希ちゃん発見! 「優希ちゃん、おはよ〜♪」 「香織ちゃん!? お…おはよ。早いわね…」 嬉しさのあまり、駆け寄って手を握ったから…ビックリさせちゃったみたい。
「私のロッカーって…どれを使ったらいいの?」 「キーパンチ室のことは、ロッカーのことも含めて…高峰さんに聞かないと分からないの」 「高峰、さんに…(やっぱり、そうなるんだ…)」 上司になる人なんだから、当然なんだろうけど、でも…なんか聞き辛い。
短大を卒業して保育士になったとき、私を見る保護者の目は様々だった。 保育の専門知識を学んだ先生、という目で見る人 子供も産んだことない娘が偉そうに言わないでよ!という目で見る人 本当に、あなたに任せて大丈夫なの?という目で見る人 それでも… 邪魔者を見るような目で見られたことはなかった。 あんな目で見られたのは初めてで、それが結構ショックだったりする私。
仕事に関することは、室長に聞かなきゃ分からないから…聞くけど… それ以外のことでは、あまり話をしたくないってゆうのが…本音なのよね…。
「でも制服の予備は、総務課に置いてあるの。香織ちゃんのサイズは…何号?」 「9号よ」 「了解♪」 2人して、総務課へ入っていく。 「…ねぇ優希ちゃん、…総務の人って…いつも何分前に出勤してくるの?」 制服の上下(ベストとスカート)を、大きなロッカーから出してくれている優希ちゃんに聞いてみた。 「みんな、10分前くらいだけど?……香織ちゃん、もしかして!?」 「うん。ココでパパッと着替えちゃうから、ちょっと協力してね♪」 制服を受け取った私は、ニッコリ笑って答えた。 「ウソでしょ!?」 驚く優希ちゃんを尻目に、どんどん服を脱いで着替えていく。 「……ハイ終わり! ご協力、ありがとうございました〜」 おどけて頭を下げる私。 「もう…香織ちゃんたら…」 「えへへ♪」
でもその様子を見ている人が居たなんて…ふざけていた私たちは、全く気付かなかった。
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優希ちゃんの好意に甘えて…私の服と鞄は、彼女のロッカーに一緒に入れさせてもらうことになった。 「私のロッカーが分かったら、すぐに移動させるね」 そう言いながら更衣室へ行くと……室長が着替えている最中で…。
「!…おはようございます」 室長を見た途端、心臓がドキン!として…身構えてしまったけど。 思わず「出たー!」なんて言葉が頭に浮かんだけど。(苦笑) やっぱり、ご挨拶は基本だし……と思い直して、ちゃんと頭を下げた。 のに 「………おはよう」 …機嫌悪い? でも聞かなきゃ分かんないし… 「室長、すみませんが…私は、どのロッカーを使ったらいいですか?」 「『すみません』なんて言葉を頭につけて、言わないで。あなたのロッカーは、この人に聞きなさい」 「!」
私は唖然としたまま…キーパンチ室へと歩いて行く室長を見送っていた。
「…しょうがないわねぇ」 さっき高峰さんが指した『この人』が苦笑しながら言った。 「え…と…お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。羽山香織です」 慌てて向きを変えて、挨拶をする。 「あなたのことを『しょうがない』って言ったんじゃないわよ?気にしなくていから」 「はい…」 「私は渡部満智子(わたべ まちこ)、よろしくね。羽山さんのロッカーは、こっちよ」
渡部さんに教えられたロッカーに荷物を入れた私は、キーパンチ室へ急いだ。 一緒に居てくれた優希ちゃんも、慌てて総務へと走っていった。
もう始業4分前になっていた。
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初めて入ったキーパンチ室の中は、女性ばかりで。 15人のキーパンチャーが原稿を入力していて、キーボードの音だけが響く…。
あんなに詰め込んで覚えても、即戦力になるかというと…これまた別で。 私は机の上の『スーパーバイザー マニュアル』のページを捲りながら…室長が作業をしているのを座って見ているだけ、だった。
そして 『百聞は一見にしかず』って、ホントなんだな…と実感している。
室長の動作、一つ一つが勉強になる。 実際に見ると、より良く分かる。 『室長補佐』と言われても…一体どこを補佐するんだろうというくらい、この人は次々と楽しそうに仕事をこなしていく。 見ているうちに「私は要らないんじゃ…」と思えてきて…ちょっと落ち込んだ。 そのとき、営業の方のドアから男性が入ってきた。
「お忙しいところ、すみませんが…このプログラムの入力をお願いします」 「『すまない』と思うんだったら、頼まないでくれる?忙しいの」 「!!!!」 息を呑む気配がして…(たぶん私と)同年代であろう男性の動きが、止まった。 横で何気なく聞いてた私も、動けなくなった。
「明日、クライアントに渡す物だ。今日中に頼む」 様子を見ていたのか…課長が来て、そう言うと 「…仕方ないわね。間に挟むわ」 室長は、承諾した。
『すみませんが、〜していただけますか』って丁寧な言葉だと思っていたけど… 『すみません』って、謝罪の言葉だから…安易に使っちゃダメ、ってこと? 『すまない』って本当に思ってないんだったら、口先だけで言うな、ってこと?
室長が言いたかったことって、何だったんだろう…。
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出勤1日目が終わり、ロッカーで着替えながらアレコレ考えていて………時間が経つのも忘れていた。 キーパンチ室から言い争う声が聞こえてきて、我に返ったんだけど… 私、もっと早く着替えて家に帰っていたら良かった。 そしたら聞かなくて済んだのに!……って思っても…もう遅い。
「あんな子、要らないのに!どうして採用したの!?」
室長の叫び声が、私の心を抉った。 |
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