安心したら涙が(09.香織)
室長になって2ヶ月が経った朝。総務のドアから、清水課長が入ってきた。 …なんで課長が総務の方から来るのかなぁ… のん気なことを思っていられたのも、そこまでだった。
「昨日、納品した大場産業のデータを出せ!」 普段よりも怖い顔で課長が言う。 「大場産業…ですか?」 「原稿と違うデータが入ってたらしい。電話口で怒鳴ってたぞ」 「!!!!」
背筋がゾッとした。 あんなに確認したのに、注意してたのに…私、間違ったの!? 信じられなかった。 でも先方が電話で怒鳴ってる、ってことは… 事実なんだ…。
「早くしろ。今から持って行く」 「…はい…」 震える手でキーボードを操作し、昨日のJOBを呼び出してMOを入れる。 「確認したのか!?」 「はい。納品前に…原稿とデータと、確認しましたけど…。課長、すみません…」
データを出力している間も、ずっと心の中で「すみません、ごめんなさい」を繰り返していた。 私の所為で、課長が怒られる! 電話で怒鳴られ、また今から行って怒られて… そう思うと、申し訳ない気持ちで一杯だった。
それに最も気になるのは…何処のデータを洩らしてしまったのか、ということ…。 違うデータが入っていた、と言ってた。 一体、何が入っていたんだろう。 何処の会社?何のデータ? もし賠償問題に発展したら、どうしよう。私…どうしたら…
「課長、本当にすみませんでした。コレ、よろしくお願いします」 データを入れたMOを清水課長に渡して、頭を下げる。 「行ってくる」 総務のドアを開けて行こうとする課長の後に、続いて行った。 申し訳なくて…せめてエレベーターの所まで見送りたい、と思って…私…。 そのとき総務課の電話が鳴り、大橋(おおはし)課長が取って…清水課長を引き止めるような仕草をして… …え、何?
「……はい、……はい。そのように伝えておきます。…では失礼いたします」 受話器を置くなり、 「大場産業からの謝罪の電話です。事務の子が違うMOを入れていたとかで……データは入っていました、さきほどは失礼いたしました、って平謝りされていたよ」 良かったね、と私に向かって言った大橋課長の笑顔が…限界まで張り詰めていた心を、一瞬で解してくれた。 「…良かっ…た…」 清水課長、怒られなくて済んだんだ… データ、間違ってなかったんだ…
ホッとした私は、身体の力が抜けて…その場に座り込んで泣いてしまった。 恥ずかしいも何も思わなかった。 頭の中を占めていたのは、本当に良かった…という思い、ただそれだけだった。 「香織ちゃん…安心して、泣いちゃったんだね…」 優希ちゃんが傍に来て、私の眼鏡を外して…背中を摩ってくれた。 ありがとう、って言いたいのに…言葉にならなくて… 泣きながら、首を縦に動かすことしかできなかった。
やっと泣き止んで優希ちゃんの方を向いたら、驚いた顔をして見つめてきた。 「私…泣いちゃったから、変な顔してるんだ…」 「違うから。香織ちゃんの素顔があまりにも可愛いくて…」 「???」
「人騒がせだよな。確認もせずに電話してくるなよ!」 なんてな、と言って清水課長がニヤッと笑った…!? 「え……」 目の前の光景が信じられなくて…ポカンと口を開けたまま見入ってしまった。 …課長も笑うんだ…
「気にするな」 清水課長が私の正面に来て、右手を差し出す。 「課長…」 …つかまれ、ってことですか?
「自分の仕事をきちんとしていれば、そのうち自信も付いてくる。さぁ」 早く、と言って尚も手を伸ばしてくる。 「はい」 おずおずと右手を差し出して課長の手を握ると、一気に引き上げられた。
「頼りにしてるからな、室長」 「はいッ!」
清水課長から言われた言葉が、とても嬉しくって…。 私は入社して、初めて課長に笑顔を向けることができた。 |
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