忘れていた感情

(14.琢磨)

 

 

それは一本の電話から始まった。

 

 

「清水課長、大場産業からです」

ちょうど俺が総務課に居たときに、かかってきた電話。

これは会社の代表番号であり…得意先からの電話も、先ず総務に繋がる。

 …確か昨日、納品した会社だったよな…

そう思いながら、大橋課長から受話器を受け取った。

 

『納品されたデータが原稿と違うじゃないか! どうなっているんだ? 我が社のデータを何処へやった!?』

 …嘘だろ!?

咄嗟に、そう思ったが…とにかく謝罪し、すぐにデータを届けることを伝える。

ガチャン! と切られても、まだ半信半疑だった。

 …本当なのか!?

だが電話がかかってきたのも、先方が怒鳴っていたのも、事実…。

 

 

俺は複雑な思いでキーパンチ室へのドアを開けて、羽山さんに告げた。

「昨日、納品した大場産業のデータを出せ!」

「大場産業…ですか?」

「原稿と違うデータが入ってたらしい。電話口で怒鳴ってたぞ」

「!!!!」

それだけを伝えると、瞬時に彼女の表情が強張った。

 

こんな顔は見たくない。が…

 

「早くしろ。今から持って行く」

「…はい…」

「確認したのか!?」

「はい。納品前に…原稿とデータと、確認しましたけど…。課長、すみません…」

 

   青ざめた顔でモニターを見つめ…

   震える手でキーボードを操作して…

   泣きそうになるのを必死に堪えて…

彼女の心情が、痛いほど伝わってくる。

 

俺1人が怒鳴られて済むことなら、何度でも怒鳴られてやる!

同じ失敗を繰り返さなければ、それでいいんだぞ?だから…

 …そんな思い詰めた顔をするな…

 

作業が終わるまで、俺は…じっと彼女を見つめていた。

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

「課長、本当にすみませんでした。コレ、よろしくお願いします」

「行ってくる」

MOを受け取り、総務のドアを開けて行こうとする俺の後を…彼女が付いてきた。

 …見送ってくれるのか?

そのとき電話が鳴り、大橋課長が取って…俺を引き止めるような仕草をして… 

 …何?

 

「……はい、……はい。そのように伝えておきます。…では失礼いたします」

受話器を置くなり、

「大場産業からの謝罪の電話です。事務の子が違うMOを入れていたとかで……データは入っていました、さきほどは失礼いたしました、って平謝りされていたよ」

「…良かっ…た…」

震える声で呟く彼女。だが俺は呆れていた。 

 …違うMOだと!? なら中身が違って当たり前だろうが!ったく…

そして、ふと横を見ると

!!

彼女が床に座り込んで泣いていた。

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

「香織ちゃん…安心して、泣いちゃったんだね…」

徳田さんが傍に行って、彼女の眼鏡を外して…背中を摩っていた。

それはそれで微笑ましい光景だが…

   彼女を泣かせるモノに対して怒りを覚えると同時に、

   彼女を慰める役は俺がやりたい! という気持ちが湧いてくる。

これは何だ?

 …遠い昔に忘れていた感情…か?

 

女なんて皆同じだと思っていたのに…この子は、他の女とは違うようだ。

愛なんて信用できないと思っていたのに…この子の愛なら、信用できる。

 …俺の心が、こんなに変化するとはな…

でもそれは『彼女だから』じゃないのか?

 

そう考えれば…すんなりと納得できた。

 

 

「私…泣いちゃったから、変な顔してるんだ…」

「違うから。香織ちゃんの素顔があまりにも可愛いくて…」

 

眼鏡を外した所を初めて見たが…確かに可愛いな。

性格が可愛い子なんだと思っていたが

 …顔立ちまでも可愛いのか…

 

この子の素の反応が知りたい、と思った俺は

「人騒がせだよな。確認もせずに電話してくるなよ!

なんてな、と言ってニヤッと笑って見せた。

「え……」

ポカンと口を開けたまま見入っている彼女の表情は、本当に面白い。

俺の口角が、自然に上がった。

 …こんなふうに笑えたのは、何年ぶりだろう…

 

 

「気にするな」

彼女の正面に行き、右手を差し出す。

「課長…」

俺の顔と手を交互に見ながら、戸惑いの表情を向ける彼女。

 

「自分の仕事をきちんとしていれば、そのうち自信も付いてくる。さぁ」

早く、と言って尚も手を伸ばす。

 …俺の手を取れ!

「はい」

おずおずと右手を差し出す彼女の手を握ると、一気に引き上げた。

 

「頼りにしてるからな、室長」

「はいッ!」

そう言って、満面の笑顔で応える彼女。

 …こんな笑顔は、今まで見たことなかったよな…

 

 

俺は、初めて心の底から『人を愛したい』と思った。そして愛が欲しい! と。

そう。この子からの愛が……

 

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