蘇えった恐怖心(16.香織)
眼鏡を替えてから世界が、そして自分自身が変わったように思う。
誘われたときに、どんなふうに断ったら上手くいくのか分かるようになった。 自分の身を守る方法を、たくさん考えられるようになった。 周りに注意を払いながら、行動できるようになった。 じっと見られるのにも、だんだん慣れてきた。 なのに… 好きな人には、ずっと睨まれている。 送られてくるのは、冷たい視線だけ。
清水課長とは、『必要最低限の』言葉しか交わさなくなった。 しかも仕事の話『だけ』で…。普通の会話が、できなくなっちゃった。 それでも毎日、会社で顔を合わせて一緒に仕事しなきゃいけないのは…辛い。 仕事とプライベートは別、って…ちゃんと分かってるよ? だけど…… どうしようもなく辛いの。 気を緩めたら涙が浮かんでくる。
眼鏡を替えてから、いろんなことを学んだ。それはそれで良かったと思ってる。 けど…替えた日から、清水課長の態度が冷たくなったような気がするの。
ねぇ課長、眼鏡を元に戻したら……前みたいに笑ってくれますか?
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「香織ちゃん、その眼鏡…どうして!?」 さんざん悩んだ末に、以前の眼鏡を掛けて出社した私は… 驚く優希ちゃんに、事の次第を説明した。
「ごめんね? 折角、優希ちゃんが選んでくれたのに……」 「ううん、いいの。だって…好きな人のために替えたのに、こんなんじゃ本末転倒だもんね。香織ちゃんが良いんなら、それが一番だよ」 「ありがと♪ なんか…久しぶりに落ち着いた気がする」
そう言って2人で笑いながら、更衣室を後にした。
清水課長が私の眼鏡を見て、驚いたような顔をしていたけれど…それについては、何も言われなかった。 課長の口から出たのは、仕事の話。 「午後に新規の原稿が来る。残業してくれ」 「はい」 …もう、あの笑顔は見れないのかな…
心の中で、そんなことを思いながら返事をしていた。
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「香織ちゃん。途中でコーヒーが飲みたくなったら、このポットのを使ってね。電源は入れておくから、あと宜しく♪ じゃあ、お先〜」 「ありがとう。お疲れさま〜」 優希ちゃんに手を振って見送ったあと、こっそりと溜息をつく。 …他の人も、残業すると思ってたのに…
そう。 いつもは営業課も、誰かが居るのに……もう誰も残ってないの。 優希ちゃんは6時過ぎに、旦那様と帰って…私は課長と2人だけになった。 今日は金曜日。 いくら月曜日が祝日だからって、3連休になるからって…それは無いでしょ!? 他の課には、誰か残ってるのかもしれないけど…この部屋では2人だけ! …余計なこと考えないで、仕事に没頭しなきゃ…
そう自分に言い聞かせて、キーパンチ室へと戻った。
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「ふぅ……終わった…」 「いけるか?」 「OKです」
キーパンチャーは、JOB毎にプログラムを呼び出してデータ入力をしている。 だから新規の原稿が入ったら、それ専用のプログラムが必要になるワケで… 『清水課長がプログラムを組み、私がデータを入力して確認する』 これが…新しいJOBが入ったときの、私たちの作業方法だった。
データ入力用のプログラムに、不具合は無いか、 キーパンチャーが入力しやすいものになっているか、 そうゆうのを、私が実際にデータを入力しながら確認しているの。 渡部さん程ではないけれど、私だってデータ入力は速いのよ? 指の動きも速いし、キーボードを見なくても平気なの。 …ピアノを弾いてたおかげ、かもね…
前の室長(高峰さん)は、これを全部1人で、していた。 でも私はプログラムなんて組めないから…こうやって2人で、しているの。 …やっぱり高峰さんは、すごいよね… 比較したって仕方ないのに、最初の頃は比べちゃって…勝手に落ち込んでた。 でも『自分なりのやり方』で良いんじゃないか、って…そう思えるようになってからは、気が楽になって…。 今は『できること』を1つずつ増やしていこうと思ってる。
「もう9時か…。そっちは済んだか?」 「はい。原稿も全て、分け終えました」 「じゃあ帰るぞ」 「えっと…給湯室に行ってきます。カップを洗って、ポットの湯を捨てなきゃいけないし…。ちょっと待っててください」
すぐにでも帰りそうな雰囲気の課長に、そう返事をして。 私は慌ててポットとカップ2つ(課長と自分の)を持って、給湯室へ向かった。
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周りを見回す。 どうやら他の課も…誰も居ないみたい。 「ヤだなぁ……」 静まり返った廊下。給湯室までの距離を、キョロキョロしながら歩いていく。 ガチャ! と、いきなり開発課のドアが開き、中から人が飛び出してきた! 「キャアッ!」 避ける間もなく、ぶつかった私は、弾き飛ばされた。 その拍子に、持っていた全てのものが手から離れ…ポットが落ち、カップの割れる音が3階中に響き渡る……。
「…痛っ…」 「ッ…静かにしろ!」 眼鏡も、どこかへ飛んでいったみたいで…目の前に立っている人の顔がハッキリと見えなくて…誰なのか分からない。 けど…会社の人だったら絶対、こんなことしない! 「こっちに来い!」 そう言って腕を掴まれて立たされたとき、反対側の手に光るモノが見えた。 …ナイフ! 「キャァ ――――― ッ!!」
それを確認した途端、私は叫び声をあげていた。
「静かにしろよっ!!」 後ろから羽交い絞めにされて、顔の横にナイフが光ったとき…一瞬、目の前が真っ暗になった。
途轍もない恐怖に支配される。 自分の心臓の音が、煩いくらいに聞こえる。 カタカタと身体が震えてくる。
え!? 私……この感覚、知って…る? !!!! あ、……… …イヤ、助けて…… |
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