蘇えった恐怖心

(16.香織)

 

 

眼鏡を替えてから世界が、そして自分自身が変わったように思う。

 

 

誘われたときに、どんなふうに断ったら上手くいくのか分かるようになった。

自分の身を守る方法を、たくさん考えられるようになった。

周りに注意を払いながら、行動できるようになった。

じっと見られるのにも、だんだん慣れてきた。

なのに…

好きな人には、ずっと睨まれている。

送られてくるのは、冷たい視線だけ。

 

清水課長とは、『必要最低限の』言葉しか交わさなくなった。

しかも仕事の話『だけ』で…。普通の会話が、できなくなっちゃった。

それでも毎日、会社で顔を合わせて一緒に仕事しなきゃいけないのは…辛い。

仕事とプライベートは別、って…ちゃんと分かってるよ?

だけど……

どうしようもなく辛いの。

気を緩めたら涙が浮かんでくる。

 

 

眼鏡を替えてから、いろんなことを学んだ。それはそれで良かったと思ってる。

けど…替えた日から、清水課長の態度が冷たくなったような気がするの。

 

 

ねぇ課長、眼鏡を元に戻したら……前みたいに笑ってくれますか?

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

「香織ちゃん、その眼鏡…どうして!?」

さんざん悩んだ末に、以前の眼鏡を掛けて出社した私は…

驚く優希ちゃんに、事の次第を説明した。

 

「ごめんね? 折角、優希ちゃんが選んでくれたのに……」

「ううん、いいの。だって…好きな人のために替えたのに、こんなんじゃ本末転倒だもんね。香織ちゃんが良いんなら、それが一番だよ」

「ありがと♪ なんか…久しぶりに落ち着いた気がする」

 

そう言って2人で笑いながら、更衣室を後にした。

 

清水課長が私の眼鏡を見て、驚いたような顔をしていたけれど…それについては、何も言われなかった。

課長の口から出たのは、仕事の話。

「午後に新規の原稿が来る。残業してくれ」

「はい」

 …もう、あの笑顔は見れないのかな…

 

心の中で、そんなことを思いながら返事をしていた。

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

「香織ちゃん。途中でコーヒーが飲みたくなったら、このポットのを使ってね。電源は入れておくから、あと宜しく♪ じゃあ、お先〜」

「ありがとう。お疲れさま〜」

優希ちゃんに手を振って見送ったあと、こっそりと溜息をつく。

 …他の人も、残業すると思ってたのに…

 

そう。

いつもは営業課も、誰かが居るのに……もう誰も残ってないの。

優希ちゃんは6時過ぎに、旦那様と帰って…私は課長と2人だけになった。

今日は金曜日。

いくら月曜日が祝日だからって、3連休になるからって…それは無いでしょ!?

他の課には、誰か残ってるのかもしれないけど…この部屋では2人だけ!

 …余計なこと考えないで、仕事に没頭しなきゃ…

 

そう自分に言い聞かせて、キーパンチ室へと戻った。

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

「ふぅ……終わった…」

「いけるか?」

「OKです」

 

キーパンチャーは、JOB毎にプログラムを呼び出してデータ入力をしている。

だから新規の原稿が入ったら、それ専用のプログラムが必要になるワケで…

『清水課長がプログラムを組み、私がデータを入力して確認する』

これが…新しいJOBが入ったときの、私たちの作業方法だった。

 

   データ入力用のプログラムに、不具合は無いか、

   キーパンチャーが入力しやすいものになっているか、

そうゆうのを、私が実際にデータを入力しながら確認しているの。

渡部さん程ではないけれど、私だってデータ入力は速いのよ?

指の動きも速いし、キーボードを見なくても平気なの。

 …ピアノを弾いてたおかげ、かもね…

 

 

前の室長(高峰さん)は、これを全部1人で、していた。

でも私はプログラムなんて組めないから…こうやって2人で、しているの。

 …やっぱり高峰さんは、すごいよね…

比較したって仕方ないのに、最初の頃は比べちゃって…勝手に落ち込んでた。

でも『自分なりのやり方』で良いんじゃないか、って…そう思えるようになってからは、気が楽になって…。

今は『できること』を1つずつ増やしていこうと思ってる。

 

 

 

「もう9時か…。そっちは済んだか?」

「はい。原稿も全て、分け終えました」

「じゃあ帰るぞ」

「えっと…給湯室に行ってきます。カップを洗って、ポットの湯を捨てなきゃいけないし…。ちょっと待っててください」

 

すぐにでも帰りそうな雰囲気の課長に、そう返事をして。

私は慌ててポットとカップ2つ(課長と自分の)を持って、給湯室へ向かった。

 

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

 

周りを見回す。

どうやら他の課も…誰も居ないみたい。

「ヤだなぁ……」

静まり返った廊下。給湯室までの距離を、キョロキョロしながら歩いていく。

ガチャ!

と、いきなり開発課のドアが開き、中から人が飛び出してきた!

「キャアッ!」

避ける間もなく、ぶつかった私は、弾き飛ばされた。

その拍子に、持っていた全てのものが手から離れ…ポットが落ち、カップの割れる音が3階中に響き渡る……。

 

 

「…痛っ…」

「ッ…静かにしろ!」

眼鏡も、どこかへ飛んでいったみたいで…目の前に立っている人の顔がハッキリと見えなくて…誰なのか分からない。

けど…会社の人だったら絶対、こんなことしない!

「こっちに来い!」

そう言って腕を掴まれて立たされたとき、反対側の手に光るモノが見えた。

 …ナイフ!

「キャァ ――――― ッ!!」

 

それを確認した途端、私は叫び声をあげていた。

 

「静かにしろよっ!!」

後ろから羽交い絞めにされて、顔の横にナイフが光ったとき…一瞬、目の前が真っ暗になった。

 

途轍もない恐怖に支配される。

自分の心臓の音が、煩いくらいに聞こえる。

カタカタと身体が震えてくる。

 

 

 

 

え!? 私……この感覚、知って…る?

!!!!

あ、………

 …イヤ、助けて……

 

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