急転/決別 (過去)(1.綾女)
ある日の夕食時のことだった。 弟・勇人の何気ない一言が、事態を大きく変えてしまうことになるとは…綾女は思いもしなかった。
「綾女って、大人しいフリして結構やるじゃん」 「勇人…何のこと?」 「だってオレ見ちゃったんだもん、会社員風の男と抱き合ってるトコ」 「!!!!」 (見られてたの!?)
血液が音を立てて引いていく感覚の中、父親の怒声が聞こえてきた。
「綾女!! お前は何ということを――」 『こんなふしだらな娘に育てた覚えは無い、先祖に顔向けができない、etc......』 父親の口から出てくる言葉は、2人の想いを否定するものばかり。 「『ふしだら』なんて言わないでください! 私と尚吾さんとは、そんな関係じゃ…」 綾女は生まれて初めて父親に反論したが…何を言っても無駄だった。 それどころか軟禁状態になり、登下校までも兄・誠人によって車で送迎されることになってしまった。
そんな状況にあっても、彼への気持ちは消えなかった。 学校に設置してある公衆電話で尚吾の携帯に連絡を入れ、現状を説明した。 彼は納得し、綾女のことまでも心配して励ましてくれた。でも… 会いたい……
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
その日は2学期の終業式で、ちらちらと雪が舞う日だった。 兄の車で送迎されるようになってから1週間が過ぎて…漸く慣れてきた綾女は、後部座席の車窓から見える風景をぼんやりと眺めながら物思いに耽っていた。
高校を卒業するまで、ずっと彼と会えないまま…? 大学は既に推薦で受かって、自宅から通うことになっているけれど あの父が、彼との交際を認めてくれるなんて思えない じゃあ…彼を諦める!? そんなの嫌! それなら私は……私は、どうしたらいい? 家を出て、大学も諦めて、独りで生活していくのは可能かしら 私は、どうしたい? 私の希望は……彼と一緒に……
「何を考えてる?」 「…え?」 車中での会話など皆無だったので、誠人から話しかけられるとは思わなかった。 驚いた綾女は運転席に目をやり、その後頭部をじっと見つめる。
「男の事か? まったく、お前は…ガキが何を色気付いてんだか…」 「違うわ! 尚吾さんは抱きしめてくれるけど、キスは…まだ…」 「何!?」 「『高校卒業の御祝いに、君の唇を貰う』って…。だから私達は、後指を指されるような関係じゃないの。それだけは分かってほしいの…」 「…そうか……」
それっきり、誠人は何かを考えている様子で―― 黙り込んでしまった。 綾女は、というと…あの日以来、初めて彼の話ができたことによって、今まで抑えてきた気持ちがどんどん膨らんできて…つい口が滑ってしまった。 「尚吾さんに会いたい…」 「…会わせてやろう」 「本当!?」 それまで沈んでいた気持ちが一気に浮上して、声が弾む。 誠人が応えてくれた! その事実が堪らなく嬉しい。
「ああ」 「ありがとう、兄さん」 バックミラー越しに誠人と目が合い、綾女は久しぶりに微笑んだ。 初めて兄と意思の疎通ができたことが純粋に嬉しかった。だがそのとき、
!!!!
大音響と共に、全身に衝撃を受けた。 辺りに悲鳴が響きわたる。
信号無視のトラックが衝突し、誠人の車は大破した。 綾女は腕と足を骨折する大怪我を負い、誠人は搬送先の病院で亡くなった。
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
綾女が病院で意識を取り戻したときには、誠人の葬儀も既に終わっていた。 誠人の優しい一面を、初めて見ることができて嬉しかった。それなのに…… (兄さん……)
警察の事情聴取も辛かった。 父親は、病室に来ては「お前が死ねばよかったのに!」と綾女を非難する。 あまりの言い様に、周囲の患者や看護師や医師が綾女を元気付け、父親に抗議をしたが……それらの言動が改められることはなかった。 そんな中、高校の担任が校長と共に見舞いに来てくれた。 「3学期は、自主登校になるし…大道寺さんは出席日数も充分あるから大丈夫。ちゃんと高校を卒業できますよ。だから怪我を治すことに専念しなさいね…」 その包み込むような温かさに、綾女は涙を零した。
リハビリも進み、やっと車椅子で移動できるようになった綾女は、売店の公衆電話から尚吾の携帯に連絡を入れたが…その番号は、もう使われていなかった。 迷惑かなと思いながらも会社に電話をしてみると、冷たい言葉を返された。 「酉島はアメリカの本社に異動しました」 (嘘でしょ!? どうして、そんな…)
尚吾からの励ましの言葉を信じて頑張ってきた綾女は、尚更そう思った。 受けたショックは相当のものだったけれど、それは―― 始まりでしかなかった。 その日、久しぶりに来た父親の言葉は、綾女の心をどん底まで追いやった。
「お前の結婚が決まった。…これは命令だ、逆らうことは許さん」
退院して暫く後。綾女は、兄の親友だった男性と結婚した。 |
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