前に有田先輩から聞いた『練習は真面目にきっちりと! 遊ぶときはトコトン思いっきり♪』のとおり、練習はとても厳しいものだった。
私たち部員は「遊びに来たぞ〜♪」と言いながらやって来たOB・OGの人たちに、目いっぱいシゴかれた。
こんなに長時間クラリネットを吹いたのは初めて! ……という私の唇は、2日目にはもう限界を超えてしまい……切れて出血してしまった。
「先……輩……」
口を押さえて涙目になっている私を見た有田先輩は、すぐに事情を察して
「30分間だけ、休憩いってらっしゃい」
と茶道室の鍵を渡してくれたけど、当の私は情けないやら申し訳ないやらで……部屋に入るなり、大泣きしてしまった。
そして30分後。泣き腫らした目で鍵を返しにきた私に、有田先輩はビックリしてた。
「そんなに痛かったの!?」
―― そりゃあ痛いですけど、そうじゃなくって……
確かに傷は痛い。でもそれは歯が当たらなければ我慢できるくらいの痛みで、こんなに泣くほどのモンじゃない。
「無理しなくていいのよ?」
―― 違うんです……
私は泣いた理由も言えずに、ただ首を横に振ることしかできなかった。
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
練習が厳しい代わりと言っては何だけど、楽しい時間も♪ たくさんあった。
先輩からの差し入れを休憩時間に一緒に食べたり、ワイワイ言いながら食堂で食事したり、部員のみんなで近くの銭湯に行ったり、お布団に入ってからは怖〜い話や告白タイムで盛り上がったり……。
修学旅行の経験は有る。でも学年の違う人たちと共に行動するのは初めてだし、銭湯に行くのも初めてだった私は、そんな時間を思いっきり楽しんだ。
そして……合宿最後の夜。恒例の『肝試し』が始まった。
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
「一緒に行くペアを決めるから、コレを引いてね〜」
割り箸で作られた籤(くじ)を持った有田先輩が、みんなの間をまわっていく。
「コレって……」
「食事のときに使った割り箸を、洗って有効活用したのよ♪」
さすが先輩! とは思うんだけど……私は遠慮したい。
「さ、裕美ちゃんも♪」
「やっぱり……参加しないとダメ、ですか? パスしたいんですけど……」
「ダ〜メ。ちゃんと男女のペアになるように作ってあるから大丈夫♪ 怖かったら、相手にくっ付いときゃイイのよ。それに卒業した先輩たちだって、楽しみにしてるのよ?」
「楽しみ…?」
「そ。お化け役で参加してくれるの」
―― えぇッ!? そんなの無くても充分、怖いじゃないですか!
「ほら裕美、早く引いちゃいなよ。次は私の番なんだからさ♪」
見るに見かねて? 真紀が来てくれた。
「真紀ぃ〜〜」
「そんな声、出さないの。さっさと覚悟決めなさいよ。…で、どれにする?」
「……わかった。……じゃあ、コレ……」
「私はコレね♪」
真紀は『5番』で、相手は雄大くん。
私は『7番』で、相手は……稔先輩!?
「木村さん、ヨロシクね」
「……こちらこそ、よろしくお願いします…」
ニッコリと笑いかけられても、返す私の笑顔は、ぎこちないモノになってしまった。
稔先輩と一緒だというのに、いつものドキドキは遥か彼方へ行ってしまったみたい。
―― これがデートだったら最高なのに……
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
「じゃあ、いってきま〜す♪」
真紀と雄大くんが、ニコニコと手を振って出発する。それを見送る私の心の中は……とても複雑だった。
『肝試し』なんて行きたくない!!
―― だけど稔先輩とペアだなんて、もう二度と無いよね?
このチャンスを逃したくない、と思った私は……ようやく覚悟を決めた。
そして、とうとう私たちの番がきた。
いくら覚悟を決めたとはいっても、やっぱり……怖いものは怖い!
一歩目は出せたけど、二歩目の足が、なかなか出せない。
「どうしたの?」
「……足が……竦(すく)んじゃって…」
「そんなに怖くないよ?」
「もうちょっと……待ってください。落ち着いたら……行けると、思い…ますから……」
「ほら行くよ。後がつっかえてるんだからね」
「きゃッ!」
いきなり稔先輩に手を握られて、引っ張られた。
そのおかげで足が出たけれど、コレって手をつなぐってゆうよりも……
―― 連行されているような気がするんですけど?
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
暗い校舎の中を2人、歩いていく。
「もう唇は大丈夫?」
「え…?」
突然、稔先輩に話しかけられてビックリした私は、すぐに返事ができなかった。
「切れた、って聞いたから」
「……あ、はい。まだ少し痛いですけど、楽器は吹けるようになりました」
「そう。良かったね」
「はい。ありがとうございます」
―― 先輩、気にかけてくれてたんだ……
心が、ほっこりと暖かくなったような気がした。
なんだか怖い気持ちも薄らいでくるみたい。
「あの……どこに向かってるんですか? 順路とか、あるんですか?」
思い切って、稔先輩に聞いてみた。
「前もって男子にだけ、ルートが教えられているから。心配しなくていいよ」
「はい……」
「指令は『北校舎2階の女子トイレ手洗い場にある封筒を持ってくること』なんだ」
「女子トイレ……ですか?」
「もちろん僕は入れないからね。木村さん独りで行くこと」
「えぇッ!?」
「当然だろ?」
「それは……そう、ですけど……」
―― 真っ暗な学校のトイレに、独り!?
背筋がゾッとして、体が一気に冷えた。
そのタイミングを計ったかのように、第一回目が襲来。
「わっ!」
「キャァーーーーーーーッ!!」
悲鳴が校舎を走った。
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
あれから何度も何度も驚かされて……私は毎回、叫び声をあげていた。
そして……今、私たちは2階の女子トイレの前に立っている。
「どうしても……独りで、行かなきゃ……ダメ?」
もう敬語で話すことすらできず、素に戻ってるのにも全く気付いてない私。目に涙を浮かべながら稔先輩を見上げたけれど……
「男子は入れないよ?」
あっさりと、そう言われて俯いてしまった。
「ドアの所で待ってるから。行っておいで」
「絶対? ちゃんと待っててね? ね? ね?」
何度も念を押してから、恐る恐る女子トイレに入っていく。
―― 封筒、封筒、と……あ、あった♪
目当ての封筒を見つけて手に取り、それまで張り詰めていた気を抜いてホッとしたとき! 目の前の手洗い場の鏡に、白いモノが映った。
それはちょうど私の真後ろまで移動し、大きく手を広げて……
「イヤァーーーーーーーッ!!」
固く目を閉じてトイレの床に蹲ってしまった私は、もう怖くて怖くて……自分の周囲で何が起きているのかさえも、分からなかった。
「大丈夫? まさかココにも居たなんて……」
稔先輩に抱え起こされて、そう言われるまでは。
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
「もうあれで最後だよ。あとはゴールの視聴覚室に行くだけだから」
「……ん……」
「封筒は、ちゃんと持ってる?」
「うん……」
震える声で、なんとか返事をしていたが
あと5メートルほどで視聴覚室、というときに……暗がりの中で人の気配がしたように感じた私は、歩みを止めた。
「どうかした?」
「……居る……」
「そんなはずないよ。気のせいじゃ――」
「イヤ……もうヤダぁ……」
「それなら、僕が先に行って見てくるよ」
ふるふると首を横に振って頑として動こうとしない私に、稔先輩は……繋いだ手を離して先に進んだ。
「誰も居ないよ?」
視聴覚室のドアの手前で、稔先輩が両手を広げる。その姿が月明かりの中、うっすらと朧(おぼろ)げに見えた。
「ほら、早くおいで」
言われた私は、恐る恐る歩き始めた。
そして稔先輩が居る場所までもう少し、という所で…………
「「「「ワァッ!!!」」」」
「キャァーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
囲まれるようにして驚かされた私の悲鳴が、あたりに響き渡った。
私は、その場に蹲(うずくま)って泣いた。
怖かった。悲しかった。
今までこんなに泣いたことなくらい、泣いて泣いて泣いて泣いて………
「ごめんね。もう大丈夫だから……ごめんね…」
稔先輩が抱きしめて、背中を撫でてくれたけど……涙は後から後から溢れてきて……なかなか止まらなかった。
★そのとき、稔は…⇒肝試し