番外編2
俺が数学の授業を受け持っているのは3年生と、2年生の理数系特進科のみ。
1年生との接点は―― 顧問をしている吹奏楽部の部員なら、よく知っているが―― あまり無い。
学年末考査で1年3組の試験官を依頼された俺は、そのクラスで1人の女生徒の姿を見て……思わず口元が緩んだ。
―― そうか、此処は木村のクラスだったな……
木村裕美は俺と楢崎先生とで顧問をしている吹奏楽部の1年生で、「何故なんだ!?」と俺の同僚が嘆くくらい、数学の成績だけが壊滅的に悪い生徒。
とても背が低い子で、初めて見たときは「小学生なのか?」と思ったくらいだった。
でもその小さな身体には、とてつもないパワーが有った。
高校から吹奏楽を始めたのに、早くも合奏に参加したのには驚いた。
その後も上達していき……今では大事な部分も任せられるようになった。
おまけにあの瀧川稔が惚れて、彼女に告白した! というじゃないか……
楢崎先生からの情報によると、今日はアイツ(=稔)が部活を見に来るらしい。
―― アイツには、試験での彼女の様子を教えてやろうかな……
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
「うそ……何、これ……」
問題用紙を配り終えたとき、木村の呟く声が聞こえた。
目を通しながら呆然としている姿に、つい笑いが込み上げてきて……慌てて口元を押さえ、それを堪える。
「センセ〜〜…笑わなくてもいいじゃないですか〜」
「(すまん、すまん…)ま、ガンバレ」
問題を解いている生徒たちの間をゆっくりと移動しながら、心の中で応援する。
名前と出席番号は書いたか?
慌てて凡ミスするなよ。
分からなくても、最後まで諦めるなよ!
一問一問、順番に解いていく者
解けるところから手を付けていく者
落ち着いて正確に解いていく者
百面相をしながら唸っている者……
それぞれが頑張っている様子に、自然と笑みがこぼれる。
試験が始まってから35分が経過。
ふと木村の方へ目をやると……筆記用具を片付けて、退出の準備をしていた。足早に傍まで行き、小声で話しかける。
「終わるのか? まだ時間は有るぞ」
「!!……いつの間に戻って来たんですか!?」
目を瞠(みは)り、驚いた顔で俺を見る彼女。
「簡単に諦めるな。粘れよ?」
俺に言われ、しぶしぶ筆記用具を出すが……空白欄は埋まることなく、そのままの状態で時間だけが過ぎていく……。
その間、木村は……俺の顔と問題用紙をチラチラと交互に見ているだけだった。
それ以前に黒板をじっと見つめていたから、彼女の言いたいことは、よく分かる。
だが俺は彼女に、「もう少し粘って、考えてほしい!」と思った。
それと同時に「稔に教えてもらわなかったのか?」とも思った。
彼女が「勉強を教えてほしい」と言えば、アイツは喜んで面倒を見るだろうに…。
そんなことさえ言えないのか?
アイツに遠慮しているのか?
俺は職場の同僚と結婚したから、そういうのは全く分からないが……
『部活の先輩と後輩が、彼と彼女として付き合う』というのは、難しいんだろうか?
態度・話し方・敬語・呼び方・etc.....
―― まぁ……慣れるまでは、木村の方が大変かもしれんな…
時計を見ると、試験開始後40分になっていた。
「40分経過。……出来た者は退出して、そのまま帰宅してもいいぞ」
皆に向かって言うと、木村も机の上を片付け始めている。
「本当に、いいのか? 後悔しないか?」
すると木村は、俺の顔を見上げながら頷いた。
―― おい!!
「(コラ、そんな上目遣いで男を見るんじゃない!)……よし分かった。お疲れ」
本人は無自覚なんだろうが、あの『目』と『顔』は危険だ。
俺は木村のことを、生徒としか見てないから良いようなものの……相手がロリコンだったら、間違いなく攫(さら)われてるぞ!
―― ロリコンじゃなくても、危ないかもな……
俺は「急いで稔に教えてやらないと!」と焦る心で、木村が教室から出て行く後姿を見送っていた。
そして、頑張って問題を解いている生徒たちには申し訳ない、と思いながらも……
心の中では、早く終了のベルが鳴ってくれるようにと祈っていた。
―― 本当に、すまん!
― End.―
★おまけ♪…⇒裕美、その後