続編

迷子(6)

【裕美】

 稔先輩の笑顔は私を幸せにしてくれるのに、私じゃない誰かに向けられたら……こんなに辛くなるものだなんて……知らなかった。

 声を上げて泣きじゃくりながら走る。

 周囲から驚いた顔を向けられるけど、恥ずかしいなんて感じない。さっき見た光景が、頭の中で何度も何度も再現されて……悲しくて哀しくて……

 

 

 あの人を見つめる先輩の優しい目が、微笑む顔が、私の胸に突き刺さる。

 私みたいな『お子様』じゃなくて、とても綺麗で、大人で…あの人なら、誰もが『瀧川稔の恋人』と認めるだろう。

 あの2人なら、きっと「お似合いね」って囁かれるに違いない。私じゃ到底無理だ……と思ったら、もっと悲しくなってきた。

 あのツーショットが頭から離れてくれなくて「もうヤだー!」と叫んだとき、前から歩いてきた誰かにドンッとぶつかって抱き止められた。

 

っ、……ごめ、なさ……

「……裕美先輩?」

……?

「先輩っ! ……なんでこんなトコで泣いてんですか!?」 

 見上げてみれば、そこには高山君の怒った顔があって……私は驚きすぎて、涙が止まった。

―― なんでココに居るの!?

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

「高山君、なんで……」

「俺は姉貴に会いに来たんです。先輩こそ、なんで泣いてたんですか?」

 彼の問いかけに、首を横に振る。それよりもこの状態を、早く何とかしたい。 

「お願い、離し――」

「嫌です。ちゃんと俺の質問に答えてくれなきゃ離してあげません」

 

 高山君に抱き止めてもらってから、ずっと彼の腕の中に閉じ込められている私。

 何とか離してもらおうと思ってモゾモゾと動いているけれど、腕を緩めてくれないどころか「泣いた理由を教えて」だなんて……そんなの言えない!

 話したくない!!

 

「もしかして……彼氏?」

 その言葉にビクッと身体が反応する。と同時に、あの光景が頭を過ぎり……胸がズキンと痛む。

「先輩に、そんな顔させるなんて……。彼氏、浮気でもしたんですか?」

先輩は、そんな人じゃ……

「だから言ったでしょ? 『俺なら絶対に、こんな寂しい顔なんてさせない!』って」

「もう言わないで!」

「俺……先輩のこと、大事にするから。ね、俺を好きになって?」

「……それはダメ、できない……」

 

 

 声がソックリだからといって、それだけで高山君を好きになるなんてことなはい。

 正直、錯覚しちゃった時もあった。けど……もう迷ったりしない。

 私は稔先輩が大好き。

 辛いのも悲しいのも、『先輩が大好きだからこそ沸き上がってくる感情なんだ』ということを―― 身を持って知ったから。

 相手を想う気持ちが深ければ深いほど、それは大きな波のように襲いかかってくるということも――。

 あれは本当にショックだったけど、そんなふうに思うことができるくらいには、私……少しは大人になれたのかもしれない。

 

 頭では、そんなふうに自分の気持ちを整理できた。

 だけど心の中はモヤモヤしていて、とっても苦しい。 

 先輩のことは信じてる、けど……私の気持ちは不安定に揺らいでしまう。

 だから信じたい、信じさせて欲しい!

 どうして、あの人が隣に居るの!?

 どうして、あんな笑顔を向けるの!?

 私は先輩の『特別』じゃあないの?

 心が苦しくて苦しくて堪んないの!

 お願い、助けて!!

 

 

 高山君の腕の中。私は彼の話に耳も貸さず、自分の思考の中に入り込んでいた。

 後悔することになるなんて、気付きもしないで……

 

* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *

 

「……先輩、先輩ってば……俺が言ったこと、聞いてなかったんですか!?」

「……え、何?」

「『キスしますけど、嫌なら抵抗してください』って言ったのに、……タイムオーバー」

「ッ!!」 

 ギョッとして顔を上げると、顎を掴まれて固定されてしまった。

 背中に回されている手にも力が込められていて、逃げたいのに逃げられない!

 高山君が屈んで、顔が迫ってきて―― 唇のすぐ横に、彼のそれを感じた。頬と唇の境界ギリギリの場所。

 でも私の……ファーストキス…

―― 大好きな先輩とのキスを夢見てたのに、なんでこんな……酷い!

 

 

 止まっていた涙が、また溢れてきた。

 私から手を離した高山君は、しきりに何かを話しているけど……何も聞こえない。

 周囲のざわめきも入ってこない。

 なのに、その人の声だけは私の耳に届く。

 

「裕美!!」

 

 聞きたかった。

 でも―― 待ち望んでいた声を聞いた途端に、私の体から血の気が引いていく。

 怒鳴り声で名前を呼ばれるなんて、初めてのことだった。

 彼が怒ったところさえ見たこともない私は、とても怖くなってきて、カタカタと震えてしまって―― 稔先輩の方へ顔を向けることができなかった。

 それが怒りを増幅させてしまったのか、私は近付いてきた先輩に―― 腕を乱暴に掴まれて引き寄せられた。

 

「心配して追いかけてみれば、他の男にキスされてるなんて……本当にキミは……」

 

 その言葉が、「もう付き合いきれないよ」と言っているように聞こえた。

 

2011.02.08. up.

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