好意と悪意(1)(24.香織)
「『羽山さん』、傷口が開いたら大変だ。絶対に無理するなよ」 「はい『課長』。ゆっくり静かに動きますから、心配しないでください」 「抜糸は?」 「来週月曜日の予定です。その日は休みますので、よろしくお願いします」 「分かった」
エレベーターが3階に到着する。 扉が開くなり内部での雰囲気が一変して、私たちの口調も変わる。 …これがON・OFFの切り替え…?
課長と離れたところで鞄から手鏡を取り出し、自分の顔色を確認する。 …まだ少し赤いけど、これくらいだったら大丈夫♪ ちょうど鏡を仕舞ったときに、優希ちゃんが出社してきた。 「おはよ、優希ちゃん♪ なんか久しぶりな感じだね」 「香織ちゃん、おはよ♪ 身体の方は大丈夫? 無理しちゃダメだよ」 「うん。心配かけてごめんね」
更衣室のドアを開けて、中に入る。まだ誰も来てない。
「まだ抜糸もしてないんでしょ? それまで休んでもよかったのに」 「でも…休んだら課長に負担がかかる、って思うと…家で、じっとしてらんないの。まだ右手しか動かせないけど…それでも会社に来てキーパンチ室で、少しでも仕事をしたいの。皆に心配かける、迷惑掛ける、って…分かってるんだけど…」 「それって…彼が居るから?」 「えっ!?」 ドキッとして、着替えの手が止まった。 「清水課長と付き合ってるんでしょ?」 「なんで、それを…」 「あの日、香織ちゃんのロッカーから私物を出して病室に持って行ったのは私なの。その時の清水課長の言動から察して、もしかして!? …って気付いたの」 「優希ちゃんって、鋭いんだ…」 「…てゆうよりも、清水課長の言動が変だったからよ? あんな課長、今まで見たこと無かったんだから。余程、香織ちゃんのことが心配だったのね」 「変って…(課長、何したんだろ…)」 「だからホントに無理しないで、何でも私に言ってよね」 「うん。優希ちゃん、ありがと♪」 「じゃあ、まずは…お昼にでも、彼氏のことを聞かせてもおうかしら?」 優希ちゃんがそう言って、チラッと意味深な流し目で見てくるから…焦った。 「ゆ、優希ちゃん!?」 「だって…私のこと、ちゃんと話したでしょ? 今度は香織ちゃんの番。ね?」 そう言われれば、そうかも……ね。
「…うん、分かった。ちゃんと話す。じゃあ、お昼にね♪」 私は更衣室を出て、キーパンチ室へ入った。
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
室長の椅子に座り、机に左の頬をくっ付けて感触を味わい、「久しぶりだね〜」と言いながら机上を右手で撫でていると…すぐ近くでクスクスと笑う声が聞こえた。 ビックリして顔を上げ、声の主を確認する。 「あ、渡部さん…おはようございます。…見られちゃいましたね…」 苦笑する私に、渡部さんは綺麗な笑顔を向けてくれた。 「お・は・よ♪ 久しぶりの感触は、どうだったかしら? …それにしても酷い怪我ね…。事件のことは昨日、課長から聞いたわ。災難だったわね。大丈夫なの?」 「はい。ご心配をおかけしてすみませんでした。またあとで、パンチャーの皆さんに詳しいことをお話しますね」
そのあと私は、キーパンチ室の皆が揃ったところで、詳しく説明した。 事件の状況、何故こんな怪我をしたのか、今の怪我の状態、そして… 皆に心配をかける、迷惑をかけると分かっていても仕事がしたいことを… パンチャーの皆は、そんな私のことを好意的に受け入れてくれた。
「心配してたのよ?」 「元気そうな顔を見て、安心したわ」 「早く治るといいわね」 温かい言葉が心に染み込んできて胸がいっぱいになって…涙が浮かんできた。
「…ありがとうございます…」
総務や営業の人たちも「大丈夫だったか?」「大変だったわね」って…会う人皆が声をかけてくれたから……とっても嬉しかった。 この職場で、本当に良かった…。
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
お昼は、優希ちゃんと一緒に食べに行く。
「さて、聞かせてもらいましょうか」 注文を済ませると、向かいの席の優希ちゃんが身を乗り出してきた。 「そんなに近づかなくても……私の声、聞こえるでしょ?」 「ココは会社に近いのよ? 店の中に『彼氏』のことを知ってる人が居たらどうすんのよ。こうゆうのは『内緒話♪』って決まってるんだから」 「そうなの?」 「そうなの!」 「ん…分かった。…あのね…」
優希ちゃんとランチタイムを過ごしたあと、女子トイレに行った私は、そこで…
「ねぇねぇ聞いた? あの子の話」 「あの子って?」 「ほら、連休前に襲われた…あの子よ!」 「あぁ、あのキーパンチ室の?」 「確か…泥棒に襲われて大怪我した、って言ってたような…」 「え、そうなの!? 職場でレイプされた、って聞いたわよ?」
!!!!
「うそ!」 「ホントに!?」 「やだ〜〜!」
信じられなかった。 その後も、いろいろ話してたみたいだったけど…ショックが大きすぎて、他のことは何も耳に入ってこなかった。
ウソでしょ!? なんでこんな話になってるの!?
彼女たちが化粧直しを終えて、トイレから出て行ってからも…暫くの間は鍵に手を置いたまま、身動きさえできなかった。
* * * ☆ * * * ☆ * * * ☆ * * *
なんとか気持ちを落ち着かせてキーパンチ室に戻ったけれど、顔色の悪さと表情の暗さは隠せなくて…課長と目が合った途端に「どうした!?」と聞かれた。 でも今は仕事中だし、心配かけたくなかったから「何でもありません」って言ったんだけど…
「そんな顔で『何でもない』と言われて、信じる奴は居ないぞ」 誤魔化すな、と睨まれてしまった。 それからの課長の行動は素早かった。 データ入力するJOBを渡部さんに指示してから、「ちょっと来い!」と言って私を会議室まで連れて行く。
腹を立てて怒っている課長と…さっきのことでショックを受けた挙句に、今度は彼から睨まれて落ち込んでいる私。 こんな2人が連れ立っていたら、周囲の人はどう思う!? 『ミスをしでかした羽山さんが叱られに行く』ように見えたと思う。絶対に!!
…あーぁ… 私は盛大な溜息をついた。 |
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